吉朝さんはもう、この世にいない。がんで亡くなられたとき、まだ50歳だった。

「入門してから……7年間ですね、一緒にいられたのは。師匠につかせていただけたのは幸せなことでした。根がやさしい人だった。その分、笑いが厳しくて。師匠みたいになりたいなと思って、似せようと追いかけてしまうことがずっと嫌でしたねえ。全然そこに行きつけませんから」

 だが最近では、素直にその芸を追いたいという気持ちになれてきたと語る。

 吉坊さんは落語以外の勉強も熱心だ。大好きなんですよと、菅楯彦の画集を見せてくれる。明治から昭和を生きた日本画家で、大阪の市井の人々と風俗を愛し、描き続けた。

「楯彦先生が描くような当時の様子、人々の姿や表情をお客さんに喋りで見せる、感じさせるにはどうしたらいいのか……なんてことを考えるのが好きなんです」

 自問自答を重ねながら、吉坊さんは鍋をつついているんだろう。かつて米朝さん、吉朝さんが中学生の自分に感じさせた落語の豊かさを今の世代に伝えたいという思いがある。