飲み相手として聞いた雑談や思い出話が、のちに芸に活きることも多かったに違いない。

始まりは中学2年時に聞いた
「かつらべいちょう」の名前

 吉坊さんは豆腐と白菜を楽しんでから、鶏肉とたっぷりの千切りしょうがも加えた。このふたつを入れるのは、日本舞踊の師匠(上方舞の山村流、山村友五郎師)宅でごちそうになった鍋から影響されているそう。なるほど、吉坊さんの日常鍋は師匠ふたりのスタイルがミックスされているのだな。

 日舞というと、米朝さんの代表作のひとつ『地獄八景亡者戯』を思い出す。その名のとおり地獄が舞台のユーモラスな大作だが、閻魔大王の袂を返す決まり姿など、日舞を習った人だからこその形の良さを米朝さんも吉坊さんも見せる。落語において日本舞踊は重要な素養なのだ。

 吉坊さんが落語に魅せられたのは、中学生のときにさかのぼる。ラジオで偶然耳にした『けんげしゃ茶屋』という噺が面白くて、たまらなかった。アナウンサーが告げた落語家の名は、「かつらべいちょう」。

「中学2年生でした。芸者とかお茶屋さんが登場する話なんですよ。もちろんなんのことかさっぱり分かれへん。なのにもう、面白くて、面白くて」