回転寿司チェーン「すし銚子丸」は、低価格の100円寿司や高級寿司店とは一線を画す「グルメ寿司」業態として成長を続けている。価格競争に走ることなく、職人による「感情労働」を強みとした劇場型経営で、家族や友人と楽しむ「特別な日」の食体験を提供している。同社のユニークな戦略について詳述しているのが、コンサルタントとして売上数百億~1千億円規模の企業の業績向上と組織変革を実現してきたノウハウを、知識創造理論の世界的権威である野中郁次郎・一橋大学名誉教授の監修を踏まえてその知見を学術的な観点も踏まえて著書にまとめた経営者・高橋勇人氏の『暗黙知が伝わる 動画経営 生産性を飛躍させるマネジメント・バイ・ムービー』だ。今回は、同書から特別に抜粋。すし銚子丸の独自のポジショニングが、多くの顧客に支持される理由を探る。
感情労働が価値を持つ銚子丸の価格帯
郊外の大型店を中心に規模を拡大した回転寿司の市場規模は、2021年時点で6700億円(寿司業界全体では1.5兆円)となった。
「100円寿司」と言われる客単価1000円程度の業態が最大数を占め、縦を客単価、横を客数としたピラミッドの最下部に位置している。その上には銚子丸を代表とする「グルメ寿司」業態があり、そのさらに上にはベルトを使わない「立ち寿司」業態が位置する。
このようにミドルレンジに立つ銚子丸は、100円という低価格で勝負はしないし、立ち寿司のようにミシュランの星を取ることも目指さない。
お客様には100円寿司よりも少しだけ多く支払ってもらう代わりに、腕も愛想もいい職人たちの歓迎を受けながら、新鮮な寿司やできたての卵焼きに舌鼓を打って、家族や身近な人たちと楽しんでもらうのがあるべき姿だ。
銚子丸では、レーンの裏でシャリロボットがひたすら寿司を作っているわけではない。顧客から見えるところに職人がいて、もてなしを受けることができる。
客単価は3000円程度だから、100円寿司よりも良いサービスを提供しないといけない。単なる寿司の作り方という作業レベルのものだけではなく、顧客対応が非常に重要になるのだ。つまり、「劇場型経営」や職人による「感情労働」は理にかなっているといえる。
中間の価格帯はポジショニングが難しい
こういった市場の話では往々にして高単価と低単価に二極化するという議論が起こるが、寿司をはじめとする外食業界はそうはならないと考えている。
厚生労働省の2022年の調査によると、年収1千万円以上世帯が10%程度であるのに対し、100万円以上400万円未満と400万円以上1千万円未満がそれぞれ40%程度で、ボリュームゾーンを形成している。
中間所得層がこれだけいるのに、寿司を食べたいときのチョイスが1人当たり1000円か、1万円の店しか選べないという状況だったとしたら、かなり残念だ。
普段は100円寿司だがたまには少し背伸びをしていいものを食べたい、でも1万円は出したくないという人もいるだろうし、自分ひとりなら1万円の寿司を食べることもあるが、家族連れのときは全員で1万円におさえたい、という予算の立て方もあるだろう。
これはいわゆるVFM(バリュー・フォー・マネー)の話で、価格帯によらず、支払う金額以上の品質で商品やサービスを提供できればビジネスは成立する。価格帯がミドルレンジに位置するとポジショニングが難しくなる場合があるというだけだ。
育成投資と規格化投資
銚子丸の場合は職人の育成に注力することで劇場型経営を可能にし、設備やしつらえ作りにではなく、食材や従業員に投資するという選択をして差別化に成功している。
銚子丸が出店すると、近隣にある立ち寿司店の需要を奪ってしまい、閉店に至ることもあるという。そして、閉店した立ち寿司店の従業員が銚子丸で働くこともままあるようだが、同一人物の提供スピードが立ち寿司店のころより3倍ぐらい速くなるということが珍しくない。
その立ち寿司店が銚子丸と同じような品質の寿司を提供していたとしても、客単価が2倍近いこともあり、数量をかせぐために早く出す必要がなかったからである。このような職人の再育成にも動画を使った教育が有効なのは言うまでもない。
寿司という同じ業界の中でも、ビジネスの構造に合わせて従業員のスキルや作業を規格化する必要が出てくる。10年修行せずに寿司屋で働けるようにはなったかもしれないが、人材不足のいま、一人ひとりの価値を最大化させるために、個々の暗黙知を形式知化し、各自にインストールしていく必要性はますます高まっているだろう。
感情労働の時代に動画は重宝される
銚子丸のある店長は、短尺動画システムを使うと、帝国海軍を率いた山本五十六の言葉、「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」のうち、「やってみせ」が省略でき、すぐに指導に入れて助かっていると言う。
一方のスタッフ側は、「こちらが投稿した実践動画に対し、上長が書き込むコメントが励みになる」と話してくれた。
銚子丸において店は劇団であるから、寿司を握り、お客様に提供する板前はトップ(劇団長たる店長)に次ぐほどの重要な役割を担っている。寿司を握る技術がいくら確かでも、無口で不愛想ではとうてい勤まらない。その板前の笑顔をより良いものにするために、静止画によるテストがある。
口角をきちんと上げてニッコリと、という見本の静止画に対して板前全員が、自分が微笑んでいる写真を撮影して投稿する。それに対して、上長がコメントを付すなどのレビューを行う。
AIの時代に感情労働の価値は高まる
「この話を聞いて、真っ先に、高級クラブなどの接客サービスで重宝されるのではないか、と考えました」と言うのは早稲田大学大学院経営管理研究科教授の入山章栄氏である。
「クラブでは指名料制がとられており、一定以上になると給料も自由競争になります。その前段階、つまり最低限の接客スキルの底上げという意味で、大いに使えると思いました」
現在は時代の大きな転換点にあると入山氏は考えている。人類は、長く肉体労働の時代を生きてきたが、19世紀の産業革命をきっかけとした機械の登場によってそれが終わりを告げ、20世紀には頭脳労働の時代に移行した。現在はその頭脳労働の時代が終わりを告げつつあるというのだ。
「ChatGPTに代表される対話型の生成AIが出てきたからです。現在はまだ進化の途上にありますが、もう少し賢くなれば、人間の頭脳労働を代替する存在になりえます。頭脳労働の多くがAIによって代替されると、感情労働の時代がやってくると私は考えています。
笑顔に代表される人間の表情は、感情労働の最たるものと言えるでしょう。表情は英語や数学にまさる最高のプロトコル(約束事)です。われわれ日本人が得意としない、表情を使ったコミュニケーションを高度化させるという意味で、短尺動画システムは大きく貢献できるでしょう」