9カ月後にミミと大森のチームを破ってチャンピオンになったのは、デビル雅美とタッグを組んだ同期のタランチェラ(伊藤浩江)だった。
同期のトップランナーを自負していたライオネス飛鳥の自信がガラガラと崩れていく。
そんな時、はるか下に見ていた長与千種が「話がある」とやってきた。明日の全日本選手権では禁じ手のない試合がしたい、と言う。殴っても蹴っても、何をしても構わない。危ないことは確かだ。どんな試合になるかは自分にもわからない。でもそんな試合がしたいのだ、と。
望むところだった。禁じ手があろうがなかろうが、強い自分が弱い千種に負けるはずがない。お望み通り叩きのめしてやる。そして、若手の試合とは思えぬ激しい試合をして、自分の強さを松永兄弟と観客の目に焼きつけるのだ。
1983年1月4日、後楽園ホール。この日のメインイベントはWWWA世界シングル王者ジャガー横田がジュディ・マーチンの挑戦を受けるというものだったが、それよりも遥かに重要な試合が前座でひっそりと行われていた。
全日本シングル王者のライオネス飛鳥に長与千種が挑戦した一戦である。