現在Netflixで配信中の『極悪女王』。元女子プロレスラーのダンプ松本が主人公だが、彼女のライバルとなったのがライオネス飛鳥と長与千種のタッグ「クラッシュ・ギャルズ」だ。今回はメンバーのひとりであるライオネス飛鳥の知られざる苦悩を紹介しよう。本稿は、柳澤健著『1985年のクラッシュ・ギャルズ』(光文社未来ライブラリー)を一部抜粋・編集したものです。
「強いが客に伝わるものがない」
ライオネス飛鳥に不足していた表現力
1980年5月にデビューした北村智子は、12月には大森ゆかりを破って新人王になり、翌年1月には空位となっていた全日本ジュニア王座を先輩の川上法子を破って獲得した。智子は全日本ジュニアのベルトを数回防衛した後、相手がいなくなって返上した。82年7月にはマスクド・ユウ(本庄ゆかり)を破って全日本王者となっている。北村智子が同期の誰よりも強いことは明らかだった。
ジャッキー(編集部注:ジャッキー佐藤)さんのようになりたい。お金持ちになりたい。有名になりたい。親に何かをしてあげたい。この四つが、女子プロレスラー北村智子の願いだった。
強くなれば、チャンピオンになれば、これらすべてが手に入る。そしてチャンピオンヘの道は自分の前に大きく開かれている。そう信じて疑わないエリートの最初の挫折は、デビュー2年目、ライオネス飛鳥というリングネームをもらった頃にやってきた。
試合で膝の靱帯を伸ばしてしばらく休養し、ようやくリングに復帰した時、マネージャーの松永国松からこう言われたのだ。
「お前は確かに強い。技もすぐに覚える。でもお客さんに伝わるものが何もなく、見ていてまったく面白くない」