ニュージャージーに戻って「あんたら」と南部訛りで言うと、友だちは容赦なくはやしたてた。楽しくて、不安のない、アッパーミドルの生活だった。
そうしたことを介して父親が教えてくれたのはアメリカの未来像だった。それがブレント自身の未来像になった。その未来では、正しいおこないをしていればすべてが手に入った。そして父親はいつも正しいおこないをし、最後までその態度を崩さなかった。体中ががんに蝕まれても、死ぬ数時間前に栄養ドリンクをもう1缶開け、翌日までなんとか生き延びようとしていた。
その父の最後の姿を忘れることができればどんなにいいか、とブレントは思った。父親はセールスマンの楽観的なやり方で栄養ドリンクをむせながらも全部飲み切ったのだ。その姿を忘れることができなかった。
父親は62歳で死んだ。ところがドナルド・トランプは、悪いことばかりしてきたこの男は、70歳まで生きて大統領職を手にした。ここにどんな教訓があるというのだ、とブレントは思った。