私はなぜ「部屋」に
囚われてしまったのか?

 新しい家で、自分の「部屋」という“城”を手に入れた私は、次第に、誰かが私の「部屋」に入るのを恐れるようになっていた。それはよくある思春期の精神的なものから来る意味ではなく、衛生的な観念から来る恐怖感だった。

 そう、それはまさに“恐怖”としか言いようのない感情なのだ。最初はそんなことを考えるのもおこがましいと思っていた。自分で建てた家でもなく、住まわせてもらっているという感覚が強かったのだ。それを、「私の部屋に入らないで、汚いから」なんて言えないと思っていた。何より、どこかおかしい考えだというのは自分が一番よくわかっていた。

 だが、おかしいと思いながらも止められない。どうしても無防備にならざるを得ないお風呂の時間などに、誰かが「部屋」に入ったかもしれないと思うだけで、掃除をせずにはいられなくなっていた。

 それだけではなく、どこにいても「部屋」のことが頭を占めるようになり、ひきこもりもどんどん酷くなっていった。月に一度、玄関先に出ればまし、なんていう時期もあった。