「不本意な異動」や「左遷」と感じる人事異動への対応
たとえば、新卒で入社以来、商品企画部に長く勤務していたAさんとBさんが、「1ヵ月後に営業部に異動してもらう」と上司から告げられたとしましょう。
2人とも、現在の業務で成果を出しており、充実した日々を送っているなかでの初めての異動、それも間接部門から直接部門への異動というケースです。両者とも辞令を受けた時点で、戸惑いや不安、そして、不満を感じるに違いありません。
Aさんは、「異動先の営業部での仕事は自分のスキルを活かせるとは思えないし、やりたかったこととも異なるので、辞めたい」という思いを持ちました。その思いを異動後も払拭できないまま、最低限度の仕事をこなしつつ、転職準備に取り組む日々を過ごしました。
Bさんは、当初、不安や不満を感じたものの、「お客様の声を直接聴けて、ニーズを実感でき、ビジネス上で不可欠なコミュニケーションスキルを高められるチャンス」と、異動にポジティブな意味を見出し、異動後の新たな仕事に全力で取り組みました。
このケースでは、異動の1年後に活躍度の差が出るのは言うまでもありません。
Bさんは、これまでの商品企画のスキルを保持したまま、営業スキル、接客スキルなど、新たなスキルを獲得することができます。Aさんは、目の前の業務に全力で向き合わなかったために、スキル習得のスピードやレベルが、Bさんに大きく劣ってしまいます。意識の違いが成果の違いに直結し、当然、業績評価にも跳ね返り、今後の昇進にも影響が出ます。所属組織で成果を出せていないことで、転職活動も順調には進まないでしょう。一方、Bさんは、営業部で評価されたことによって、将来、商品企画部に戻っての活躍も期待できるはずです。さらに、部門横断プロジェクトなどでの活躍のチャンスも待っているかもしれません。
人事異動に関しては「適材適所」の考えに基づいて運用されることが理想ですが、そうでないことも多々あります。また、本人自身のキャリアプランを考慮しての異動というよりは、組織の事情に基づく異動のほうが多い実態もあります。そのため、自身のキャリアプランどおりではないという点で、不本意と感じることが多いかもしれませんが、冷静に受け止めて、対処する必要があります。これまでの職場から「不本意な異動」となったときに、精神的に腐ってしまうのと、「新たな挑戦」「成長のチャンス」と捉えて、前向きに動くかで、未来は大きく変わるからです。
私自身も上述の例と同様の経験をしたことがあります。
新卒で入社後5年間所属していた本社の業務管理部門から、支社の事務センターへの異動辞令を受けました。成果を出したうえで、企業派遣の海外留学制度に応募しようとしている矢先でした。想定外のタイミングであるとともに、異動先も、お客様対応が大変で、残業が多いと評判の部門だったので、かなり動揺しました。「これで、出世も海外留学もなくなったな」とも思いました。
一時的には落ち込みましたが、一方で、「どれくらい大変なのだろうか?」という好奇心も湧き、「やれるところまで、やってみよう」と腹をくくりました。
異動先で、平日は終電近くまで仕事をし、帰宅後も仕事、週末も土日どちらかは出勤して仕事をこなしていきました。いまで言う「ブラック」な働き方です。ただ、自分自身がやりたくてやっていたので、労働時間の多さも苦にはなりませんでした。失敗をして、お客様をお詫び訪問するなど苦い経験も多々ありましたが、大変さを上回る、やりがいを感じる日々でした。
ワークライフバランスが重視される現在、長時間労働はお勧めできる働き方ではありませんが、個人的には、人生のどこかで「仕事人間」となる時期があってもよいように思います。効率が悪くても、没頭して初めて見えてくることもあるからです。少なくとも自分にとっては、眼前の仕事に没頭したことを通じて、新たな気づきを多く得ることができた貴重な期間でした。
そうして、異動後2年余りが経過し、仕事漬けの日々を過ごしていたある日、本社から連絡が入りました。「本社に戻ってこないか?」という打診でした。事務センターでの仕事にやりがいを感じていただけに、「もう少し、現場経験を」という思いもありましたが、最終的に本社(業務管理部門)への復帰となりました。短い期間でしたが、事務センターでの現場経験は、お客様視点、社内人脈など、自分に不足しているものを補完してくれる効果をもたらしました。
さらには、本社復帰の1年後には、上司や周囲の先輩方の理解とサポートもあり、一度は諦めた海外留学試験も受験することができ、幸いにも合格し、その後、企業派遣研修生として米国で貴重な2年間を送ることができました。
現場に異動したときに、気持ち的に腐ってしまっていたら、本社復帰も海外研修もなかったでしょう。もしかすると、早期離職をしていたかもしれません。「不本意な異動」や「左遷」と感じる人事異動も、捉え方を変え、そこでベストを尽くすことで、思わぬ幸運(いわば“セレンディピティ”)につながることがあることを、私は自らの経験で学びました。