“偶然の出来事”をキャリアに活かす!――そのために必要なことは何か?

働く者一人ひとりの「キャリア」がいっそう重視される時代になった。個人が職業経験で培うスキルや知識の積み重ねを「キャリア」と呼ぶが、それは、一つの職種や職場で完結するものとは限らない。「長さ」に加え、キャリアの「広さ」も、エンプロイアビリティ(雇用される能力)を左右するのだ。書籍『個人と組織の未来を創るパラレルキャリア ~「弱い紐帯の強み」に着目して~』(*)の著者であり、40代からのキャリア戦略研究所 代表の中井弘晃さんは“パラレルキャリア”こそが、個人と組織を成長させると説く。今回は、個人のキャリア形成に影響を及ぼす「計画された偶発性理論」について一考する。(ダイヤモンド社 人材開発編集部)

* 中井弘晃著『個人と組織の未来を創るパラレルキャリア~「弱い紐帯の強み」に着目して~』(2022年10月/公益財団法人 日本生産性本部 生産性労働情報センター刊)

*連載第1回 価値ある“パラレルキャリア”とは?広義の5タイプから考える副業との違い
*連載第2回 “パラレルキャリア”の効果と効果最大化のために個人と組織に必要な姿勢
*連載第3回 仕事のキャリアをよい方向に導く“緩やかなつながり(弱い紐帯)”を考える

「好奇心」「持続性」「柔軟性」「楽観性」「冒険心」

 前回のテーマ「弱い紐帯(緩やかなつながり)」と同様に、キャリア形成に影響を及ぼす偶然の出会いや出来事について、今回は考えてみます。

 米国での大学生に対する調査によると、自身の経歴が、「偶然(予想外の出会いや出来事)の影響を受けた」と答えた学生の割合は7割に及んでいるそうです。例えば、日本においても、就職先の選定において、企業説明会で説明を担当した先輩社員の話が面白かったとか、たまたま、他の企業に全部落ちてしまったとか、様々な偶然の要素が考えられます。

 私自身、新卒時の入社先は計画外でしたし、60歳を過ぎたいま、講師や執筆、コンサルティングの仕事をしている姿は、学生時代に計画も想像もできませんでした。私のキャリアは、計画的に形成された時期もありますが、それ以上に、挫折や失敗を含めた偶然の連鎖の結果といえます。

 皆さんはいかがでしょうか? 現在のお仕事は、ご自身が希望し、計画どおりに就いた仕事でしょうか? それとも予想外の出会いや出来事などの偶然の結果でしょうか?

 医師やプロ野球の選手など、自身が望み、計画的に職業に就いている人もいます。それでも、どこかで偶然が作用したのではないかと私は思います。医師であれば、たまたま、父親が医師であったとか、病気の家族を救ってくれた名医との出会いがあったなど。野球であれば、兄の影響で野球を始めたとか、たまたま、テレビで観た選手のプレースタイルに魅了されたといったこともあるでしょう。

 このように、キャリアは偶然に左右されるといっても過言ではありません。

 ですので、偶然をキャリアに最大限に活かす道を、真剣に考えてみてはどうでしょうか?

「予期できないことだから偶然であって、偶然を意図的に引き起こしたり、ましてや、その活用を前もって準備することは無理ではないか?」――そう思われるかもしれません。確かに、親の職業や家族環境のように、生まれた段階で決まっていることは、どうすることもできません。

 しかし、問題意識を持って行動することや、計画的に行動することによって、チャンスにつながる偶然に出会える可能性を高めることができます。そして、後述する“準備”をしておくことによって、出会った偶然をキャリアに活かすことも、十分に現実的です。

 偶然がキャリアに及ぼす作用については、1999年にスタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ教授が「計画された偶発性理論」(Planned Happenstance Theory)として発表しています。

 当理論のキーメッセージは、「キャリアの8割は予期せぬ偶発的な出来事によって決まる」というものです。

 そのうえで、幸運な偶然に出会える可能性を高めるために、学ぶこと、行動することに加えて、普段から、「好奇心」「持続性」「柔軟性」「楽観性」「冒険心」の“5つの姿勢”の実践が重要としています。

 私が大学でキャリアの授業を行っていたときにも、「計画された偶発性理論」を教える機会がありました。学生たちは興味をかなり示します。一方で、「キャリアの8割が偶然で決まるのであれば、努力をしなくてもよいのでは?」と勘違いする学生も出てきます。そうならないように、「この理論の本質は、その正反対で、キャリアにプラスになる偶然を引き寄せるためにも、学び、行動するとともに、日常生活において“5つの姿勢”を実践することが大切」と力説したものです。私自身は、この“5つの姿勢”を「こうじじゅうらくぼう(好持柔楽冒)」と頭文字を念仏のように唱えて、忘れないようにしています。