価値ある“パラレルキャリア”とは?広義の5タイプから考える副業との違い
終身雇用・年功序列という日本型雇用があたり前ではなくなり、働く者一人ひとりの「キャリア」がいっそう重視される時代になった。個人が職業経験で培うスキルや知識の積み重ねを「キャリア」と呼ぶが、それは、ひとつの職種や職場で完結するものとは限らない。「長さ」に加え、キャリアの「広さ」も、エンプロイアビリティ(雇用される能力)を左右するのだ。書籍『個人と組織の未来を創るパラレルキャリア ~「弱い紐帯の強み」に着目して~』(*)の著者であり、キャリア戦略コンサルタントの中井弘晃さんは“パラレルキャリア”が、個人と組織を成長させると説く。中井さんの「HRオンライン」への寄稿から、“パラレルキャリア”の価値を考えたい。(ダイヤモンド社 人材開発編集部)
* 中井弘晃著『個人と組織の未来を創るパラレルキャリア~「弱い紐帯の強み」に着目して~』(2022年10月/公益財団法人 日本生産性本部 生産性労働情報センター刊)
パラレルキャリアの概念の始まりと定義の変化
皆さんは、もし今後のキャリアに不安がある場合、“収入を伴う副業”に取り組みますか、あるいは“収入を伴わないパラレルキャリア”に取り組みますか?
私は58歳のときに35年間勤務した会社を早期退職し、その後、59歳で大学教員に転身し、2023年の8月まで勤務しました。企業の役職を上りつめたわけでも、研究者として論文を多数発表したわけでもない平凡な自分が定年を迎える直前に大学教員に転身できた理由は2つあります。1つ目は運と人の縁(弱い紐帯など)に恵まれたこと、2つ目は学び直しとパラレルキャリアを実践したからです。もし、パラレルキャリアではなく、目先の収入補填のための副業を行っていたとしたら、60歳を前にした年齢で大学教員に転身することは不可能だったでしょう。本業で閉塞感を感じたときでも、本業への貢献を意識し、学び直しを行うとともに、パラレルキャリアを実践したからこその結果といえます。パラレルキャリアに救われたといっても過言ではありません。
パラレルキャリアという言葉の歴史的背景に少し触れておきます。「パラレルキャリア」という概念は、1999年に米国の経営学者ピーター・ドラッカーが『明日を支配するもの』(上田惇生訳)の中で提唱したものです。提唱時には、パラレルキャリアは「第二の人生」を有意義に過ごすための一つの手段であり、「本業を持ちながら、リタイア後を視野において本業と平行したもう一つの役割を持つこと」と定義されていました。提唱された当時は、どちらかというとボランティア活動などの社会貢献活動を指すものでした。「第二の人生」を有意義に過ごすためのシニア向けの概念であった「パラレルキャリア」ですが、昨今の傾向としてはシニア向け以上に若い世代のパラレルキャリアに注目が集まっているともいえます。この点については、後述します。ちなみにドラッカーのほとんどの著作本の翻訳を手がけ、ドラッカー学会の初代代表であった上田惇生氏は、私が一般財団法人経済広報センターに出向していた際の上司であり、その経済広報センターの常務理事と翻訳者というパラレルキャリアの実践者でもありました。