樺太から来たというのも實氏だけで、皆は満洲から送られてきたという。小屋の中は薪ストーブが焚かれていたので、寒さはそれほど感じないのがありがたかった。収容者には番号が付いていて、名前はなくなり番号で呼ばれた。

「そこで森林伐採をやったよ。高さ20メートルもある木を2人がかりでのこぎりで切り倒すんだ。頬も耳も鼻も真っ白になる。パンは1日700グラムで、働きがよかったら1キロになる。俺はだいたい、いつも余計にもらっていたよ。食べずに残しておけば必ず盗まれた」

「毎日のように誰かが死んでいったよ。タバコをたくさん吸うのが、早くに死んでいった。マッチとタバコが欲しくてパンと交換するんだ。それで腹をすかして死んでいく。やせちゃってね、かわいそうに。

 俺もタバコを吸ったよ。吸いたくて吸いたくて、馬糞で試してみたんだ。でもぶっ倒れそうになるくらい辛くて1回で凝りてしまった。衣服を引きちぎって中の綿を巻いて吸ったこともある。若いから乗り切れたんだな」

 同室の朝鮮人も日本人にとっては恐怖の的だった。少しでも日本語で話しているのが見つかると、動けなくなるまで殴られた。

 1948年になると、小屋の中にいた日本人は皆死んでしまい、日本人は實氏ひとりになってしまった。