ロシア人の通訳者が伝える日本語はほとんど意味不明で、取調官とロシア語で何かを話しているのが不気味だった。通じない問答が30分ほど続くと、やおらはっきりした日本語で判決が言い渡された。
「あなたは罪を犯した。2年6カ月の実刑です」
驚いて息が詰まり、言葉も出てこない。刑法59条であるという。
「その時の気分?訳が分かんないだけさ。正直に言えば帰らせてくれるものとばかり思っていたのに。部屋に戻ると、これから2年半もどうするんだ?ってうろうろするだけだよ。そのうちソ連兵に『ダワイ、ダワイ(行け、行け)』と追い立てられて、刑務所の外に放り出された」
外には窓に鉄格子がはめられた囚人車が停められ、機関銃を手にした監視兵が2人乗り込んでいる。まだ夜は明けていない。発車し、車が南へ下っていることはわかった。大泊港についたのはちょうど海から朝日が昇って来るときで、その瞬間の眩しい光景は鮮やかに覚えている。
大泊(おおどまり)港に停泊していた大きな船は、實氏が乗り込むとまるでそれを待っていたかのように、すぐに動き出した。1947年1月末であった。