家族にさんざん迷惑をかけ、家庭も崩壊に向かっていった。

「それでもまだ足りないのか。これ以上、俺に何を望むのか?」

 憤りのあまり、そう叫びたくなったこともある。

 そうしたなか、私はいつの頃からか、「あえてその十字架を背負い、自分なりにけじめをつけなければならない」と思うようになった。

「もう現場の指導には関わらない」

 これが、私が出した結論だった。

「日本からいなくなりたい」
ラグビー強豪国への留学を決断

 ラグビー指導の現場から離れる以上、もう自分に居場所はない。ということは、このまま、ここにいても何も変わらない。日本にはもう自分の活躍できる場はないのだから、海外に行こうと私は考えた。

 そうなると、いてもたってもいられない。何かやらなければ、自分自身がおかしくなりそうだった。

 一刻も早く海外に行きたい。

 一刻も早く日本からいなくなりたかった、というほうが正しいかもしれない。

 私はニュージーランド、オーストラリア、フィジーに留学することにした。いずれも世界的なラグビーの強豪国で、ニュージーランドやオーストラリアは私も何度か訪れたことがある身近な国だ。