なぜ日本人はスポーツを楽しめないのか?海外と比べた「異質さ」の原因「FC市川GUNNERS」代表でサッカー・コンサルタントの幸野健一氏

スポーツの語源には「楽しむ」ことが含まれているが、勝利至上主義が土壌となっていた日本のスポーツの場には、長く上下関係が根付いていた。ビジネスパーソンの世代はまさにこの時代を過ごしてきたことになるが、海外に目を向けると「平等」が組み込まれた社交の文化も確認できる。日本のそれとは異なるものだ。

サッカー専用の人工芝グランドを所有し、イングランドのアーセナルFCの公式スクールとして活動していたクラブ「FC市川GUNNERS」代表の幸野健一氏。現在の会員数は約400人。サッカーだけでなく総合型を視野に入れたスポーツクラブである。幸野氏は、サッカー・コンサルタントとして活動しており、小学5年生年代の全国リーグであるプレミアリーグU-11の実行委員長も兼ねている。スポーツが心と体の成長に与える影響を捉え直す本連載、初回は日本のスポーツの課題について、幸野氏に聞いた。(取材・文/上沼祐樹)

楽しむことを優先している? 
日本と違う海外のスポーツ

 スポーツの語源は、ラテン語の「デポルターレ」。これは、「遊び」を意味しています。海外でこのスポーツはどのように捉えられているか、それは「楽しいからやる」というシンプルなもの。つまり、「楽しくないときはやらない」という考え方も通じる自由なものとして位置づけられているんです。楽しいから継続できて、その結果上手くなる。すると高いレベルに行っても楽しめる。さらに上手くなる――。そういうサイクルがあるんですよね。そうなると、壁にぶつかっても簡単にスポーツを辞めなくなる。

 一方、日本ではどうでしょう。多くの海外の国との違いは、スポーツを学校教育に入れたこと。1884年に部活動がスタートし、代表的な舞台として甲子園での高校野球が実施されました。ここではトーナメントという戦い方が採用され、優勝する高校に多くの賞賛が寄せられるようになった。勝利至上主義が始まったタイミングですね。

 目の前の敵に勝つことが最重要なので、とにかく精神修養、一意専心。「今日は気分が乗らないので休みます」なんて許されませんよね。学校の先生がそのまま部活動を指導するため、教える側・教わる側の立場がどうしても明確な上下関係で成り立ってしまうのです。

 ある意味、成績と進路を先生に預けてしまいますよね。日大アメフト部の問題もその一例ではないでしょうか。日本の学生の皆さんが、スポーツを楽しめているかと言えば、疑問があります。