「家庭に入る」ことが社会への還元につながらないという考えも乱暴だが、そもそも当時の東大の女性の多くは就職差別などを通して彼女たちを家庭に押し込めようとする社会の力になんとかして抗おうと努力していたわけだから、田辺の指摘は的外れであった。

 三教授とも言いたい放題の鼎談であったが、男性教授の特権を持つ自らの言葉そのものが、既存の激しい差別を強化することで、女性学生を一層苦しめることになるという意識はまったくなかったようである。

「東大生論の権威」が主張した
東大は最高級の花嫁学校となるべき

 当時、日本のような男性中心社会の大学において、田辺のような考えは決して例外的ではなく、むしろあたりまえのものとされていた。これらの発言が問題視されたという記録はないし、同調する声はキャンパスの教員以外の男性たちからも聞かれた。

 たとえば文学部の事務官だった尾崎盛光は、大学が花嫁学校であることはやむを得ないとし、むしろ東大は最高級の花嫁学校となるべきだと主張していた。

 尾崎はもともと東大文学部卒で、文学部教員の日高六郎の紹介で40歳近くになって文学部に就職した異色の事務官だった。文学部事務長を長く務め、その間、東大生の就職や学生気質などについて多くの著作を残した「東大生論の権威」でもあった。