三田紀房の受験マンガ『ドラゴン桜2』を題材に、現役東大生(文科二類)の土田淳真が教育と受験の今を読み解く連載「ドラゴン桜2で学ぶホンネの教育論」。第11回は「共通テストの出題内容」について考える。
「味のしないサプリメントのよう……」
共通テストの英語がつまらなすぎた
東京大学現役合格を目指す天野晃一郎と早瀬菜緒は、自分の実力を知るためにセンター試験に挑戦する。しかし、あまりにも膨大で難解な問題に打ちのめされた早瀬は、東大受験をやめると宣言し、教室から去っていった。
過去には現代文でリカちゃん人形が、英語のリスニングには謎のマッチョな野菜が登場し、地理Bではムーミンの舞台を推測する問題が出題されて物議を醸してきたセンター試験。
そんなセンター試験に変わり、2021年1月から実施されているのが大学入学共通テスト(以下、共通テスト)だ。多くの受験生にとっては、志望校合格のための第一関門となる。これまでの「知識・技能」に加え、「思考力・判断力・表現力」を問う、というのが文部科学省の方針だった。
私が初めて共通テストを丸ごと解いたのは2022年の1月、共通テスト同日模試だ。当時高校1年生だった私は未習範囲の世界史にコテンパンにされたのを覚えている。
驚いたのは英語の試験だ。誤解を恐れずひとことで言うと、つまらない。
もちろんテストは面白さを追求するものではない。だから当然、つまらないから悪いというわけではない。
私が注目したのはその内容だ。架空のイベントのパンフレットや、架空の日記、当たり障りのないレポートなど。うがった見方をすると、味がしないサプリメントのような文章だ。確かに、情報をすばやく処理する能力を測ることはできるだろう。
ただ、どうしても「それでいいのか?」と思ってしまう。外国語という視点での自然科学・人文科学の文章を読んだり、日本語では再現できない、英語ならではの「言葉のあや」を味わったりするのも英語教育の大切な要素ではないのだろうか。
情報処理能力は手段でしかない
勉強の醍醐味は「知的好奇心」にある
「無味乾燥だろうと英文を早く正確に読むことが重要だ」「小難しい英文は二次試験で出せばいい」と言われればそれはそうだと納得するしかない。
だけれども、英語が情報処理能力を検査する手段として活用されているのは、高等教育の入り口たる共通テストのあり方としてどうなのかというモヤモヤは残る。
もちろん、「面白い」と思える教科もある。
日本史や世界史は、従来の1つの単語を選択させる問題がほとんど出題されなくなり、代わりに古文書や一次資料を読み解く問題が増えた。問題を解きながら新たに得られる知見も多い。母校の世界史の先生が、「今までは10分程度で満点を取れていたが、倍以上の時間をかける必要がある」と語っていたのが印象深い。
私や周囲の友人たちの成績を見る限りでは、他の模試での得意・不得意と共通テストの結果が大きく食い違うことはなかった。また成績が上位や下位のみに極端に偏ることもないようだ。
普遍的な学力をある程度測ることができる形式のテストなのは事実だろう。
共通一次、センター試験、共通テスト、これらの統一的なテストの方向性は、国が中等・高等教育をどのように考えているかが透けて見える。
大前提として、共通テストにおいては「いかに公正公平かつ均等に学力を測るか」が求められる。その意味で、受験生や受験関係者にとって「解きごたえのある」問題は作りづらいと推察する。
さらに、多様化する進路の中で共通テストを利用しない入試形態も増えてきている。
ただ、勉強の醍醐味は新たな知見を得るときの知的好奇心にこそある。情報処理能力はあくまで問題解決の手段であり目的ではない。
賛否は別として、大学入試が中等教育のゴールであり高等教育のスタートとなる現実がある以上、知的好奇心が刺激されるような問題をみてみたい。