東大生の男性の6割が「大学卒」を妻にしたいと考えながらも、女性が生涯職業に就くべきと思っているのは1割5分に過ぎないことを尾崎は指摘し、そうであれば東大は女性を男性と同じく教育するのではなく、むしろ将来「大型ホステス」となるための「最高の花嫁学校」とした方が良いと主張した。

 尾崎は同じ主張を『東京大学新聞』にも投稿し、「100人位の女子定員を確保したらどうだろう」「将来の大使夫人、教授夫人のために『女子学生のためのラテン語コース』」を開講し、「文学部には女子専用の美容室と体操室ぐらい設けたらよろしい」と提案した。そして東大の「女子学生諸君」に対して、「『わたしは日本最高の花嫁学校にいる』という誇り」を持つよう促していた(注2)。

注2 『東京大学新聞』1958年9月17日付

自分の能力不足をタナに上げて
社会を責める女子大生は気楽な稼業

 東大の男性学生の多くもこのような考えに同調していたようである。教養学部4年に在籍していた加藤諦三は『毎日新聞』(1962年12月11日付)の特集「女子学生亡国論を考える」に投書し、そもそも女性は大学本来の目的に合わないと主張していた(加藤はその後、大学院に進学し、卒業後は早稲田大学で社会学者として教鞭をとりながら、数多くの著作を世に出している)。