近親相姦を恥じた島崎藤村との
結婚を夢見たこま子
ここまでわれわれは「近親相姦」をめぐる意識のありようを、島崎藤村の側からだけ見てきた。もう一方の当事者こま子の側から見たときはどうなるのだろう。
ヨコタ村上孝之 著
実は、こま子の方は藤村との関係に罪悪感をとくに感じていなかったようである。こま子は終始藤村に対して積極的であり、パリ逃避中の藤村にもしばしば愛情のこもった手紙を送って藤村を困惑させている。こま子は藤村との結婚を夢見ていたようで、「頑固な父さえ死んでしまえば、藤村の妻になれると信じ込んでいたらしい」(平野謙『島崎藤村』202頁)という。
これがこま子の、法的知識の欠如のせいなのか、それとも木曽の山村の感覚で、入籍の際の適当な操作で血族婚の問題は回避できると考えていたのか、詳しい事情はわからない。
確かなことは、彼女にとっては近親相姦にまつわる罪や恥の問題より、自分の恋愛感情の強度の方が重要であったということだ。
この例にも見て取れるように、「罪」におびえているのはたいてい男の方なのである。それは男たちが、この罪を生み出す掟を制定した張本人であるからなのかもしれない。罪は掟があるところにしか生じえないからである。