「成功が証明つきのもの」にサービスを加えて売る

 フランチャイズ展開に成功したクロックは、1961年にマクドナルド兄弟から「マクドナルド」の商標を巨額で譲り受けている。それは高い支払いではあったが、兄弟と結んだ契約から解放されるには安い買い物だったかもしれない。

 クロックは晴れてマクドナルドを自由にできるようになったが、彼はあえてマクドナルドのシステムに根本的な変更などを加えなかった。

「すでに成功が証明つきのものを使えば、第一歩から他者に先んじることができる」(『マクドナルド―わが豊饒の人材』(ジョン・F・ラブ/ダイヤモンド社)という言葉からもその真意をうかがい知ることができる。マクドナルド兄弟が何年もかかり苦労の末につくり上げた既成のシステムに大きな変更をする必要はないと判断したのだろう。

 それよりクロックが労力を割いたのは、品質の向上と全店舗を統一した基準にすることだった。彼がシカゴの郊外に設立した「ハンバーガー大学」がそのいい例である。

 クロックは厳密なマニュアルを作成するようにし、各加盟店で一貫したサービスを行うように指導していった。そうした研修プログラムが進化していき、やがて設立されたのがマクドナルドの研修センターである「ハンバーガー大学」だ。

 フランチャイジーはここで短期間のうちにマクドナルドのシステムを徹底的に教え込まれ、またQ(品質)、S(サービス)、C(清潔)の重要さを学んで顧客の満足をいかに得るかを習得していく。そして、カリキュラムを修了した従業員はハンバーガー学の学士を授与されるというユニークな研修制度である。

 似たような研修制度は現在、ファストフード業界の多くで実施されているが、これはクロックによって築かれたといっていい。

 実際、これらの研修はマクドナルド全体の均一化とサービス全般の向上に大きな貢献をし、続々と有能な店長や経営者を排出していった。

 当時急成長し、競合店がひしめきあっていた外食フランチャイズ業界において、マクドナルドが業界の巨人として君臨していくようになった一因はここにもあるのである。