誰しも悩みや不安は尽きないもの。寝る前にイヤなことを思い出して、眠れなくなるなんてことも……。そんなときの助けになるのが、『精神科医Tomyが教える 50代を上手に生きる言葉』(ダイヤモンド社)。ゲイのカミングアウト、パートナーとの死別、うつ病の発症……苦しんだ末にたどり着いた、自分らしさに裏づけられた説得力ある言葉。心が落ち込んだとき、そっと優しい言葉を授けてくれる“言葉の精神安定剤”で、気分はスッキリ、今日一日がラクになります!

【精神科医が教える】なにかを成し遂げようとして挫折する人が決定的に見失っていること・ワースト1Photo: Adobe Stock

「どうせやるなら極めたい」という病

今日は「何も極めなくていい」というお話をしたいと思います。

「どうせやるなら極めたい」と意気込む人はいますし、その情熱には敬意を表します。

ただ、極められないことで落ち込んだり、本当はやりたくないのに「極めなければ」と自分に無理を強いるのは、避けたほうがいいのではないかと思います。

気負うよりも大切なこと

よくよく考えてみると、自分1人が極めようとしても、できることには限りがあります。

実際に「極めた」「成し遂げた」とされる経営者などもいますが、そうした人は最初から「極めよう」と気負っていたわけではないのかもしれません。

むしろ、やりたいことを淡々と続けていたことで、気づけば他の人がたどり着けない境地に達していた。そんな感じなのではないでしょうか。つまり、極めたいと思って極めたわけではないのだと思うのです。

シンプルな原則を徹底する

多くの場合、「極めたい」という気持ちは、自分が何かを成し遂げていると示したい、他者の目に自分を映し出したいなどという、他人の評価を気にした「他人軸」から生じていることが多いのです。

この「極めたい」という動機が他人軸である場合、どうしても辛さや挫折感がつきまとい、それは始めた時点から見えている結果なのです。

だから、何も極める必要はなく、楽しいことをやって、やりたくないことはやめる、そうしたシンプルな原則を徹底することが大事だと思います。

自分らしい道を進めばいい

無理に「極めよう」としなくても、最大限自分らしい道を進める方法ではないかと思います。

極めようと無理をしなくても、自分にできる範囲でやりたいことをする。それが結局、いちばんオススメの方法だと感じます。

※本稿は『精神科医Tomyが教える 50代を上手に生きる言葉』(ダイヤモンド社)の著者による特別原稿です。