誰しも悩みや不安は尽きないもの。寝る前にイヤなことを思い出して、眠れなくなるなんてことも……。そんなときの助けになるのが、『精神科医Tomyが教える 50代を上手に生きる言葉』(ダイヤモンド社)。ゲイのカミングアウト、パートナーとの死別、うつ病の発症……苦しんだ末にたどり着いた、自分らしさに裏づけられた説得力ある言葉。心が落ち込んだとき、そっと優しい言葉を授けてくれる“言葉の精神安定剤”で、気分はスッキリ、今日一日がラクになります!
「どうせやるなら極めたい」という病
今日は「何も極めなくていい」というお話をしたいと思います。
「どうせやるなら極めたい」と意気込む人はいますし、その情熱には敬意を表します。
ただ、極められないことで落ち込んだり、本当はやりたくないのに「極めなければ」と自分に無理を強いるのは、避けたほうがいいのではないかと思います。
気負うよりも大切なこと
よくよく考えてみると、自分1人が極めようとしても、できることには限りがあります。
実際に「極めた」「成し遂げた」とされる経営者などもいますが、そうした人は最初から「極めよう」と気負っていたわけではないのかもしれません。
むしろ、やりたいことを淡々と続けていたことで、気づけば他の人がたどり着けない境地に達していた。そんな感じなのではないでしょうか。つまり、極めたいと思って極めたわけではないのだと思うのです。
シンプルな原則を徹底する
多くの場合、「極めたい」という気持ちは、自分が何かを成し遂げていると示したい、他者の目に自分を映し出したいなどという、他人の評価を気にした「他人軸」から生じていることが多いのです。
この「極めたい」という動機が他人軸である場合、どうしても辛さや挫折感がつきまとい、それは始めた時点から見えている結果なのです。
だから、何も極める必要はなく、楽しいことをやって、やりたくないことはやめる、そうしたシンプルな原則を徹底することが大事だと思います。
自分らしい道を進めばいい
無理に「極めよう」としなくても、最大限自分らしい道を進める方法ではないかと思います。
極めようと無理をしなくても、自分にできる範囲でやりたいことをする。それが結局、いちばんオススメの方法だと感じます。
※本稿は『精神科医Tomyが教える 50代を上手に生きる言葉』(ダイヤモンド社)の著者による特別原稿です。