ゲームで強敵が「ぐおおおおおおお」と言いながら倒されていくとき、爽快な気持ちになる人は少なくないだろう。他者が苦しむ姿を見て喜ぶ、という「悪意」は生きていく上で必要のない感情にもかかわらず、なぜ存在するのか。人間の心に宿る制御できない「悪意」の正体とは――。※本稿は、戸谷洋志『悪いことはなぜ楽しいのか』(ちくまプリマ、筑摩書房)の一部を抜粋・編集したものです。
魔王には「ぐおおお」と
言ってほしい
私たちはエゴイズムの問題を考えました。簡単に言えば、それは、自分を世界の中心に置き、自分の快楽を追い求めることです。あらゆる生物がエゴイズムを持っています。人間もその例外ではありません。
ところが、人間はこれとまったく異なる欲求を抱くことがあります。それは、自分の快楽を求めるのではなく、まったく反対に、他者の苦痛を求めるという欲求です。つまり、他者が苦しんでいるところ見て喜ぼうとする気持ちです。
そんな人がいるなんて信じられない、自分にはそんな欲求はまったくない、と思いましたか?でも、自分の胸に手を当てて、よく考えてみてください。本当にそうだと言い切れるでしょうか。
私はお説教したいのではありません。悪いことに楽しさを感じてしまうのだとしても、それは事実だから仕方ないのです。問題はそうした自分をどうコントロールするかであり、そのためには自分を知らなければいけません。