これはもっともな意見のように見えます。しかし、多分、私と同じように筋肉痛を求めている人のなかには、この意見には共感できない人もいるのではないでしょうか。
たとえばここに、どれだけ激しい筋トレをしても、その後に襲ってくる筋肉痛を無くすことができる薬があるとしましょう。果たして、筋トレをした後、自分がそれを飲むだろうか、と自問すると、多分私は飲みません。
筋トレをしたなら、そのあと、がっつりと筋肉痛が到来してほしいのです。ということは、やはり私は筋肉痛を筋肉痛として、それ自体として、求めているのだと思います。
あれ、急に読者がついてきてくれているか不安になってきました。そういうこと、ありますよね!?
みなさんが賛同してくれるようですので、話を先に進めましょう。それでは、なぜ、私は筋肉痛を求めているのでしょうか。私の考えはこうです。すなわち、多分、「それだけ自分が頑張った」ということを、筋肉痛が実感させてくれるからではないでしょうか。
つまりその苦痛は、自分が成し遂げたこと、自分が達成したことを、実感させてくれるのです。
もしも筋トレした後で、まったく筋肉痛がなかったら、「おれは何をしていたんだろう」という虚しい気持ちになるかもしれません。