全国の市で人口増加率が6年連続ナンバーワンとなった千葉県流山市。定住人口は18年間で4割も増加、出生率は全国平均を大きく上回る。20年以上にわたって市長として流山の自治体経営をリードしてきた井崎義治氏が、少子高齢化時代の都市マーケティングの重要性を語り、その実績を披露する。
※本稿は、百戦錬磨のマーケターから本当に大切なことを学べるオンライン勉強会「マーケリアルサロン」<ファシリテーターはインサイトフォース取締役の山口義宏氏。ダイヤモンド社主催>で、2024年3月に井崎義治氏が語った内容を要約・編集したものです。(構成:田原寛)
流山市が直面していた二大危機
流山市長
東京都杉並区生まれ。1976年立正大学卒。85年サンフランシスコ州立大学大学院人間環境研究科修士課程修了(地理学専攻)。89年、12年間の在米生活から帰国後、流山市在住。81年からJefferson Associates Inc.、83年からQuadrant Consultants Inc.、88年から住信基礎研究所、91年からエース総合研究所に勤務。2003年より流山市長(現任)。千葉県市長会長(21年2月~現任)、全国市長会副会長(24年6月~現在)、全国市長会 関東支部長(23年5月~24年5月)、千葉県後期高齢者医療広域連合長(21年2月~現在)、千葉県市町村振興協会理事長(21年3月~ 現在)、千葉県公立学校施設整備期成会会長(21年6月~ 現在)。
流山市長の井崎です。49歳で市長になり、2023年5月に6期目に入りました。サンフランシスコ州立大学大学院を修了後、米国の民間企業で都市計画などに携わり、12年間の在米生活の後に住み着いたのが流山市です。
流山を選んだのは、環境の良さと街としての可能性を感じたからです。一方で、将来大きな問題になりかねない課題も抱えていました。それについて当時の市長や執行部、議員などに説明したのですが、「TX(つくばエクスプレス)が開通すれば何とかなる」と誰もが楽観視しており、危機意識はありませんでした。そこで私は、街を良くしたい、流山が持つ可能性を形にしたいと思って市長選に立候補し、一度は落選したのですが、二度目で当選しました。街を良くするという目標があり、それを達成するための手段として市長になったのです。
当時の流山は二つの大きな危機に直面していました。一つは、急激な少子高齢化の進行。もう一つは、いわゆる「宅鉄法」によるTX沿線の区画整理事業です。
TXが開業した2005年の流山市の人口構成は、当時55~60歳だった団塊の世代が最も多く、その次が団塊ジュニア世代、それより下の年齢層は毎年減っていました。大都市郊外はどこも似たような状況ではありましたが、流山はいち早く少子高齢化の段階に突入していました。そのままでは将来的に財政状況がどんどん悪化し、市民サービスの水準を維持できなくなる危機的な状況でした。
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もう一つの宅鉄法による区画整理事業ですが(図表1)、TX沿線全体で施行面積は約3270ヘクタール、多摩ニュータウンより10%以上大きな規模です。そのうち、流山市内の施行面積は約627ヘクタールで、市全体の約18%を占めます。国や県の補助金を除いて、流山市が負担する施行事業費は594億円。工事が順調に進み、宅地が全て売れれば問題ないのですが、仮に大量に売れ残るようなことになれば、巨額の借金がのしかかります。ちなみに、03年度の市の税収額は190億円ほどでした。
TX沿線には11の市と区(東京都の特別区)がありましたが、その中で流山市は知名度が最も低いグループに入っていました。造成した宅地が売れ残るリスクは小さくなかったのです。
都市イメージは、「都心から一番近い森のまち」
私は市長に就任すると、二大危機への対策として、流山市の知名度とイメージを上げるマーケティング戦略を実行することにしました。まず行ったのがSWOT(強み、弱み、機会、脅威)分析です。その結果分かった強みは、都心へのアクセスの良さとオオタカが棲む豊かな自然の両立、弱みは知名度の低さ、機会はTXの開通、そして脅威はTX沿線自治体の中での埋没です。
この分析に基づいて、流山が目指す都市イメージとなるキャッチフレーズを決めました。それが、「都心から一番近い森のまち」です。次に、定住人口の増加策を打つ上でのメインターゲットを共働きの子育て世代「DEWKs」(Double Employed With Kids)に定めました。
流山の長年の課題の一つは、通勤・通学は都内、買い物は他市、これといったレクリエーションもなく、市内では寝るだけで、昼間人口が少ないということでした。TXの開通で、武蔵野線と交わる南流山駅、東武アーバンパークラインと交わる流山おおたかの森駅という2つの乗換駅が市内にできましたので、これを機に集客力のあるイベントや地域資源を活かしたツーリズムに力を入れて交流人口を増やし、「人・モノ・お金が集まる街」にしようと考えました。
目指す都市イメージの具現化、定住人口増加策、交流人口増加策という3つを柱として、流山市のマーケティング戦略を始動させたわけです。
一つ目の「都心から一番近い森のまち」という都市イメージですが、実際には区画整理事業で森が伐採され、植栽のない宅地を造成する、「緑が減る開発」が行われていました。そこで、グリーンチェーン認定制度、景観条例、開発事業の許可基準等に関する条例などを次々と定め、「緑を増やす開発」へと転換しました。
二つ目の定住人口増加策については、メインターゲットであるDEWKsのために保育所を増やしました。2010年度に17園だった認定保育園等の数は、24年度に104園(予定)と6.1倍、定員数は4.8倍になりました。
子どもの送迎も共働き世帯にとっては大きな負担で、子どもが2人、3人と増え、別々の保育園に通園するケースではなおさらです。そこで、07年に流山おおたかの森駅、08年に南流山駅に駅前送迎保育ステーションを設置しました。送迎保育ステーションと市内の指定保育所をバスで結んでおり、保護者は通勤途中に駅前で送迎できます。
そして、交流人口の増加策では、流山おおたかの森駅前広場での「森のナイトカフェ」、有機栽培野菜を販売する「森のマルシェ」、ご当地グルメが並ぶ「南流山屋台フェア」といった家族で参加できる各種のイベントを開催したり、流山本町の古い街並みを活かしたイベント、ガーデニングが盛んな流山の住宅の庭を見学者に開放するオープンガーデンを実施したりしています。
人口は4割増、出生率も大幅にアップ
私は政治家というより、自治体経営者のつもりで市長を務めています。自治体も企業の経営も、社会的な潮流をよく見て10年後、15年後にどういう問題が顕在化するかを予測し、そこから逆算して今どういった手を打つべきかという思考が必要です。
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長期的な視点で都市としてのリスクや可能性を捉え、マーケティング戦略を実行してきた結果、05年4月に15万人余りだった流山市の人口は23年4月に21万人弱と約4割増加(図表2)、人口構成では子育て世代の30~40代が最も大きな山になりました。そして、70~74歳の団塊の世代を、9歳以下の子どもの数が上回りました。
04年に1.14と全国平均を下回っていた合計特殊出生率は、22年に1.56となり、全国平均(1.21)を大きく上回っています。今の小学6年生は、一人っ子の割合が13%、逆に兄弟姉妹3人以上は約30%に達しています。仕事をしながら子育てがしやすい、そして暮らしやすくて快適な社会インフラを整備してきた成果だと思います。
(後編へ続く)