マーケティングにまつわる2023年の特筆すべきトピックについて、IT批評家の尾原和啓さんとインサイトフォース取締役の山口義宏さんが語り合います。生成AIの進展で注視しておきたい点や、SaaSバブル崩壊の裏で失われたマーケティング的な課題など、押さえておきたい問題を一気にチェックしておきましょう。
*本対談は、尾原さんのオンライン講座「ITビジネスの原理実践編」×山口さんをファシリテーターとしてマーケティングの本質を学ぶコミュニティ「マーケリアルサロン」共催で2023年12月末に開催したイベント内容のダイジェスト記事です。
マーケティングが生成AIの激震地に
IT批評家
1970年生まれ。京都大学大学院工学研究科応用システム専攻人工知能論講座修了。マッキンゼー・アンド・カンパニーにてキャリアをスタートし、NTTドコモのiモード事業立ち上げ支援、リクルート、ケイ・ラボラトリー(現:KLab、取締役)、コーポレートディレクション、サイバード、電子金券開発、リクルート(2回目)、オプト、Google、楽天(執行役員)の事業企画、投資、新規事業に従事。内閣府新AI戦略検討、経産省 対外通商政策委員等を歴任。NHK「令和ネット論」にて「DX」「メタバース・NFT」[Web3」を解説。現職は13職目 シンガポール・バリ島をベースに人・事業を紡ぐカタリスト。ボランティアで「TEDカンファレンス」の日本オーディション、「Burning Japan」に従事するなど、西海岸文化事情にも詳しい。新刊『プロセスエコノミー』は「ビジネス書グランプリ2021」にてイノベーション部門受賞 共著書『アフターデジタル』(日経BP)は経済産業大臣 世耕氏より推挙、10万部超え、製作協力の國光著「メタバースとWeb3」は半年で7刷と好調。『モチベーション革命』(幻冬舎Newspicks books)は 2018年Amazon Kindleで最もダウンロードされた本に。中国・韓国・台湾で翻訳。『ITビジネスの原理』(NHK出版)は2014年、2015年連続Top10のロングセラー(2014年7位、2015年8位)。韓国、中国に翻訳。
山口義宏さん(以下、山口) 今日はIT批評家の尾原和啓さんをお迎えして、マーケティングにまつわる2023年の振り返りについて伺っていきます。さっそく一つ目のポイントとして挙げていただいた「生成AI地政学、多産多死」から伺えますか。
尾原和啓さん(以下、尾原) 生成AIは、2022年3月頃からブームが始まって同11月に対話型生成AI「Chat GPT-4」が登場して盛り上がりは最高潮に。そこから約1年たって、世の中の雰囲気としてはやや幻滅期に入った印象です。
とはいえ、わずか一年で米OpenAI一強体制からオープンソース系AIも出てきて、AIモデル自体はコモディティ化してきています。グーグルから流出して話題になった内部文書には、オープンソース系のほうが個別改革が進みやすく、グーグル対OpenAIの競争に打ち勝つ、とも記されていました。
実際の競合地図にも変化が見て取れて、アンドリーセン・ホロウィッツも出資した仏ミストラルAIなどが技術的に伸びてきています。欧州では大筋合意した「EU AI Act(AI規制法案)」に基づいて、24年からAIの開発や利用にさまざまな規制が出て、その面では先行するでしょう。
山口 「AI地政学」というのは、各AI系企業が国・エリアの主導権争いも背負っているということですね。
尾原 そうです。それと、この一年はAIのコモディティ化が進んで、データの統合性に重要性がシフトしてきた、という変化が見て取れた年でした。結果として、マーケティングが激震地になるでしょう。
マッキンゼーのレポート(*)によれば、生成AIの生産性へのインパクトが大きいのはソフトウェア開発ですが、金額的にはマーケティング&セールス、カスタマーサポート(顧客対応)も大きな影響を受けます。
*参考:マッキンゼー・アンド・カンパニー「生成AIがもたらす潜在的な経済効果」
たとえば現状、マイクロソフトはOfficeとAIを連結したレベルですが、これがお客様とのCRM管理まで融合して、2024年夏にはBI系(Business Intelligence:企業に蓄積したデータを分析し、経営判断や業務支援に生かす)ツールも統合していくでしょう。
こうした変化のスピードは想像以上に速いので、AIを味方につけてマーケティングを進化させるサービスや企業と、そうじゃないところの差が2024年はいっそう明確になりそうです。
AI革命と偏愛の加速
山口 生成AIがコモディティ化した、という点に関連して私も感じているのは……この1年、クリエイティブの制作コストが下がって、表面的な目先を変えた完成度50-70点のクリエイティブをすごいスピードで量産して多産多死で回せるようになったものの、結果的に効果が出たとはいえないシーンも多かったな、ということです。AIで作ったものより、“インサイトやクリエイティブの職人”が魂を込めて作りきったもののほうがパフォーマンスが出る、という場面も何度か目の当たりにしました。
70点のクリエイティブがタダ同然で作れるようになって爆増した結果、100点に近い人の心理やプロダクトの強みを簡潔に表現できる人の希少性が浮き彫りになったほか、その勝ち方をどうAIに学ばせて90点を出せるようになるか、という別の戦いが始まっているのではないでしょうか。数年前に、ふろむだ(@fromdusktildawn)さんと対談したときに仰っていたとおり、売れそうな合理性のあるものは模倣もしやすく効かなくなって、偏愛的なものしか勝たない、そういう世の中の入り口にきたことを体感してます。
尾原 コンビニの歴史と似てるな、と思います。コンビニの登場は、流通にとってのAI革命みたいなものでした。リーチが広まり顧客理解が高まって購買行動の解像度が上がったことで、たとえば飲料のSKUは3-5倍に激増した。近接性のある新しいキラキラした商品が出てくると、顧客もいったんは惹かれるから一時的に商品回転速度が上がるけど、結果、PBと商品回転力が高いものに二極化しました。顧客も毎回ほしい商品を選べるかというと、多くの人は選び疲れをしてしまうから、オーセンティックに90点のものをしっかりそろえたところを選びやすくなる。
それと、「偏愛」が加速するのはその通りでしょう。データ量が増えていくなかで、ビッククエリとLLM(Large Language Models:大規模言語モデル)は相性がいい。偏愛はニッチかつ広いので、どの偏愛を拾うのかというときも、ユーザーが検索したり離脱したりしたキーワードを自動で拾ってきて、求められているコンテンツのプロトタイプをかつての20分の1のコストで作ってテストし、そこから広げていくというアプローチができます。中国で「AIGC(AI Generated Contents)」と呼ばれる手法がカバーしていってます。
山口 偏愛系以外はコストが下がっていきつつ全体のレベルが上がっていって、結果としてPBのように「ここで選んでおけば失敗しない」というものにマスのユーザーは寄っていきやすくなる。その場合に選ばれるカギになるのはブランド力でしょうか。
尾原 オーセンシティ(一貫性)が大事になるんでしょうね。それがメディアに宿るのかインフルエンサーに宿るのかは、見極めどころですね。残念ながら日本はアジアみたいにインフルエンサーがKOL(Key Opinion Leader)やキュレーターを兼ねるというより、リーチ力のあるインフルエンサーだけ重宝されている状態で、これからKOLが育っていくのか注視してます。米国でも旅行やバーティカルサーチの領域はKOLが育っているけど、日本はかろうじてアニメとアパレルぐらいで、それ以外のジャンルではあまり影響力が育ってないように見えます。
山口 KOLが育つ背景として、海外ではニッチ市場も大きいせいもあるかもしれないですね
尾原 たしかにね。日本語人口は国外を含めても1.5億人に対して、英語人口は15億人以上と10倍いるから成り立つ、という点はあるでしょう。一方で中国・東南アジアはシャオホンスなどのSNS自体に、コミュニティをナーチャリングするなど、KOLがトランザクションを起こせる仕組みが組み込まれている、という違いもありますよね。
SaaSバブル崩壊で本当に失われたものとは?
インサイトフォース取締役
ブランド・マーケティング領域の支援に特化した戦略コンサルティングファーム、インサイトフォース株式会社の取締役。ソニーグループ企業にて戦略コンサルティング事業の事業部長、リンクアンドモチベーションにてブランド・コンサルティングのデリバリー統括、PR~デジタル系広告代理店にて新規事業開発マネジャーを経て、2010年にインサイトフォース株式会社を設立。これまで100社を超える上場企業クライアントに対し、ブランド~マーケティング戦略策定、CI、商品・デザイン・広告施策の実行、グローバル市場戦略などの支援を提供している。著書『マーケティングの仕事と年収のリアル』(ダイヤモンド社)、『デジタル時代の基礎知識「ブランディング」 「顧客体験」で差がつく時代の新しいルール』(翔泳社)他、最新刊は『マーケティング思考』(翔泳社)。
山口 続いて、2023年振り返りの2つ目のポイント「SaaSバブル崩壊以降のKPI偏重の弊害」についてお願いします。
尾原 ここ2年はSaaS系スタートアップがすごい時価総額をあげて、2021年は132社のユニコーン(設立10年以内で、企業価値10億ドル以上の非上場テクノロジー企業)が出たのに対し、23年は30社にとどまりました。近年のSaaSは、将来サブスクリプションで長期間にわたって儲かるから、集客費をかけて赤字になってもユーザーを増やせれば最後に勝てる、という文脈で資金調達をしてきました。
本来、集客というのは集客費をかけるほど(その商品サービスへもつ愛着が強いお客様の)濃度が薄まるので、その前提で、集まったお客様が商品を好きになって使い続けてくれるように仕向ける必要があります。SaaSの場合は後追い企業のほうが開発投資を安く済ませられて、低料金を武器に先行企業の顧客を乗り換えさせようとするので、スイッチングバリアを作る必要もある。SaaSバブル前のオンラインマーケティングでは、集客がポイントではなく、いかにユーザーをアクティベート(ロイヤル化)して、周りを巻き込んでくれるほどのユーザーを積み上げていくかが問題でした。でも、そのもっと手前で「ファンになってもらう」大切さ自体が忘れられていた気がします。
山口 資金調達環境もバブルだったから、獲得コストが高くてもLTV(Life Time Value:顧客生涯価値)はいつか帳尻が合うはずだと進んできた。でも競合が出てくると合わなくなるし、薄いユーザーが集まるとアクティベートの仕方も変わる、という基本が抜け落ちていたということですかね。
尾原 LTVやチャーンレート(解約率)は遅行指標なので、SaaSバブル前まで重宝されていたグロースハック(売り方だけでなく、商品・サービス作りやリリース後もかかわって、データの分析や改善を行い、急成長させる手法)のように、本当のアクティベートを見ながらマーケのPDCAを回す習慣やメソッドが見直されるべきだと思います。AARRR(誘導、活性化、継続、紹介、収益というグロースハックにおける顧客行動の分解モデル)のフレームワークがありますが、しっかりアクティベートしているユーザーがいるから、リピートとアトラクトもある。
山口 温故知新ですね。私もまったく同意なのですが、言い方を変えると「投資家ハックの終わり」だったのかなと。今年1年はそれが決定的になったと感じます。
尾原 その言い方のほうが、シンプルでわかりやすいね。
山口 企業価値や株価を上げるためにどう事業をつくるか、というとき、自分もコンサルタントとして、「顧客が期待する体験をつくるためのマーケティング」を考えるのは当然なんですが「投資家が重視するKPIや目線を重視して、事業戦略とブランド戦略をマーケティング施策と組み合わせる」ことをたくさん支援してきました。これらがうまくはまると、投資家からの評価という意味では効果絶大なんですよね。
尾原 「40%ルール(売上高成長率と営業利益率の合計が40%を超えているか、投資家が赤字のSaaS企業を見る場合の投資基準のひとつ)」は目安の一つなのに過剰視するとかありますよね。
山口 投資家市場に向けたロジックとしては、イノベーティブなプロダクトで、初期は顕在化した市場規模は小さくても新規顧客獲得コストは安くおさえながら、どんどん顧客数を増やす。そうやって獲得した顧客に、既存の顕在化した大きな市場のプロダクトもクロスセルによってリプレイスしていきLTVを伸ばせる、という事業構造ができていると多少は先行赤字でも許される、というのはありました。
尾原 生き残りをかけて血を流しながら続ける戦いは、ユーザーには何の益にもならないこと多いですしね。投資家に耳触りのよい技法が増えすぎて、ユーザーに選ばれ続けるためにオンラインでどうPDCAを回せばいいのかという本質的な議論が軽視されてきた気がします。昔のグロースハックの手法と生成AIの相性はいいので、大量にUXテストやコンテンツを作って、お客様に愛されるプロダクトづくりを多産多死型で高速で実現するにはどうすればよいか、を考えるべきです。プロトタイピングが安くなって、昔よりハイパーパーソナライゼーションもやりやすくなっているはずですし。
山口 (自身がCOOを務める、人材育成サービスの)グロースXについても、導入したお客さんにヒアリングすると、その多くは、既存のお客さんから推奨されたり評判を聞いたりというのが決め手になっているんです。こういう声はデジタルでシステマティックに入手できないものですが、それらの評価の声をつくり、それが拡がる機会を意図的に設計推進する泥臭い積み重ねが必要があるんだろうなと思ってます。最後はいいプロダクトを作る、いい顧客体験をつくり、推奨の声が出てくるところまでをやりきることが、計測が難しい部分が残ったとしても経済合理性のある話なんだと思います。あと、顧客体験の良さの追求は、目先の数字合わせではない部分に焦点が合うため、組織が注力する目線としても健全ですし。
尾原 新規顧客獲得など測定サイクルの早い指標に引っ張られやすいので、本質的に重要な測定サイクルとあわせてプロセス設計をする「ビジネスサイクル」や「リズム・オブ・ビジネス」が必要ですよね。結局、ユーザーがすごく使いたい商品サービスにアクティベートされると一定期間使い続けてくれて、ファンになって人にも紹介してくれるわけですよね。人の紹介・口コミについてもNPS(Net Promoter Score:顧客ロイヤリティを数値化するための指標)のように定性的な取り方もあれば、リファラル(紹介)プログラムをつくってN=100でも相対比較などチューニングして測る方法もある。紹介を確実に増やすために、どういう指標を重視してビジネスに組み込むか、といった話がオンライン企業であるほど消え失せていることに危機感があります。
(1月16日公開の後編では、「2024年展望」対談をお送りします)