三田紀房の受験マンガ『ドラゴン桜2』を題材に、現役東大生(文科二類)の土田淳真が教育と受験の今を読み解く連載「ドラゴン桜2で学ぶホンネの教育論」。第16回は「女子と浪人」について考える。
女子の浪人率が男子よりも低いのは、なぜ?
東大合格請負人・桜木建二が東大専科の生徒を合格へ導こうとしているのに対抗し、従来の「難関大コース」を率いる教員たちは、自身のクラスからも東大合格者を出そうと目論む。
そして、学年トップの学力を誇る2人の生徒、藤井遼と小杉麻里に対し東大受験を進める。二つ返事で東大受験を決めた藤井に対し、小杉は難色を示す。
その理由は、「私…浪人したくないんです」。
このセリフを「女子が言った」ことにどれほどの意味があるだろうか。今回は「女子と浪人」について考えていこうと思う。
正直、このテーマを連載に含めることには私自身かなり葛藤があった。
ジェンダー論を体系的に学習していないのに論評する資格があるのか、男子校出身かつ現役という身で意見を述べることにどれだけ意義があるのか。このテーマを「自分ごと」でないことにする理由などいくらでも思いつく。
しかし、そういったことを隠れ蓑として意図的に意見を持つことを避けてきたことは否めない。むしろその意識こそが、構造的な不均衡を生み出していると言っても過言ではないだろう。
高校生の時に、知り合いの女子に言われた言葉を今でも覚えている。「今の日本で女が浪人したところで意味ない」
「(浪人期間1年を含めて)7年制学校」という言葉が半ば自虐的に使われる中高一貫男子校出身者の私にとって、浪人は目と鼻の先の概念であった。だからこそ、「女子は浪人をするべきでない」という考え方が存在することには衝撃を受けた。本音をいうと、なんだかとても居心地の悪い考え方であった。
いまだに構造的差別が残っているのではないか
「男子よりも女子の方が浪人率が低い」。これは統計的に紛れもない事実である。
文部科学省が公表している学校基本調査をもとに計算したところ、2023の浪人率は男子で20.3%、女子で14.8%である。そして、進学校であるほど、また都市圏の高校であるほどこの差は広がるという研究データ(伊佐 夏実「難関大に進学する女子はなぜ少ないのか」教育社会学研究第109集〈2021〉)もある。
ではなぜ、女子は浪人しない、あるいはしづらいのだろうか。
1つの理由としては、「女子にとって大学は、浪人してまで行く場所じゃない」という意識がいまだに存在することが挙げられる。
もちろん「女子枠」など、強引とも言えるほどこの構造的差別を改革するようなシステムが作られつつあるのは事実だ。しかし、根本の問題解決への道のりは長い。地方女子の進学選択の幅を広げようと活動する#YourChoiceProjectは、「浪人すると婚期を逃す」と考えている保護者の意見を紹介している。
一方で、男女の心理的な特徴に関しても指摘しなければならない。
ハーバード大学で社会学を研究する打越文弥氏は、女性の浪人率の低さの要因として、日本の社会的構造に加えて次のような点を挙げている。女性は男性よりもリスクを回避する傾向があることや、女性の方が一発で結果が決まる形式のテストに関して不安を感じやすいことがあるようだ。
とはいえ、女子は浪人できないという意識が残る現実が、多かれ少なかれ構造的差別に起因することは認めなくてはならないだろう。
私はこの課題を完全に自分ごとにすることはできない。しかし他人ごとだとは思わない。
もし数年前の私と同じように、「女子は浪人をするべきでない」という考え方の存在を知らない、あるいは特段の問題意識を抱いたことのない男子中高生がいるのならば、「今の日本で女が浪人したところで意味ない」と考えている同世代の女子がいることを忘れないでほしい。
その時に居心地の悪さを感じるのであれば、それは将来的な意識改革の原動力となるだろう。