ある大学の文学部に所属する准教授は、教育のために使える予算が減らされた結果、現代の学生のために必要だと考える授業改善に取り組めずにいる。
この准教授は、データサイエンスを使った研究手法を授業に生かしたいと考え、教材を作るなど準備を始めたという。だが、文学部に回ってくる予算が少なく、必要な機材類の手配が難しかった。「学生に新しい手法を教えたいが、今のままではできない。古いタイプの教育から転換できずにいる」と嘆いていた。
朝日新聞「国立大の悲鳴」取材班 著
金沢大学の社会科学系の教授は、「必要な経費が回ってこない」と悔しがる。予算不足で非常勤講師の待遇悪化や技術支援スタッフの削減などが続き、「実習などの教育に悪影響が出ている」とも訴える。
別の大学の人文科学系の教授も、「人文・社会系の教養教育の教員が、この10年で7人から2人に減らされた」と明かす。退職する教員がいても補充がない。たとえ補充があったとしても、期間を限定した有期雇用の教員に代える。そんな形で、人件費を絞らざるを得なかった大学は多い。
一方で、法人化後は、教育や社会貢献、さらには学長の補佐といった仕事が追加された教員が多い。仕事が増えているのに人を減らされれば、研究時間を削ったり、休日に働いたりせざるを得ず、不満を募らせている教員は多い。ある工学系の准教授は、現状に強い憤りを感じている。
「人員削減や事務業務の増加により疲弊し、体調不良で出勤できない教員も増えている。国立大学が『残酷立』と揶揄されるのは当然だ」