「《人々のしもべに 皇太子様の人間修業。》
大波のよせては返す荒磯によくも住むかなうろくす(魚のうろこ)のむれ
皇太子さまはこう歌われるようにいつもジツと自然を観察するのが大好きだ、その自然観察の時と同じ熱心な目を今度はアメリカの社会と人生問題にも向けられ出した、学習院の寮生同士の自由研究も『日本民族の起源』と四つに組んで徹夜でノートをまとめられる(略)『人の主たるものは人々のサーヴアントたれ』。人間修業の道をここに求められつつ国民の大きな期待に応えられようとしている。」
記事の見出しは「しもべ」と訳しているが、サーバントは「奉仕者」であろう。クエーカー教徒のバイニングの教えがもとになっているのは明らかだが、やや唐突感のある記事だ。明仁皇太子自身にも国民に奉仕する具体的なイメージはなかっただろう。迷う皇太子の心にバイニングが指し示した灯火だったのか。
5日、宮内庁長官の田島道治は前日に御殿場の秩父宮(編集部注/秩父宮雍仁。昭和天皇の長弟で明仁皇太子の叔父にあたる)を訪ねた際にあずかった皇太子の教育に関する意見書の内容を裕仁天皇に説明した。このあと田島はその意見書を小泉(編集部注/小泉信三は東宮御教育常時参与=皇太子の教育責任者だった)に渡した(*1)。どのような内容の意見書だったかわからないが、秩父宮も三笠宮同様、皇太子の教育、生活に問題ありと見ていたのだろう。
仲間といる時の楽しげな様子と
公式行事での無表情の極端な差
皇太子は年明け早々の1月2日から8日まで長野県の志賀高原にスキーに出かけた。初めてのスキー旅行だった。橋本明ら学友も同行した。日本スキーの草分けといわれる猪谷六合雄と千春(のちに冬季五輪で日本初のメダリスト)父子の指導を受けた。
このスキー旅行も皇太子に生活的熱意が乏しい傾向があるということで企画されたものだった。皇太子は相手の話を聞いても相槌も返事もしない傾向があり、そのことも懸念されていた(*2)。
*2 「特集日本の皇太子」49頁。皇室記者の藤樫準二が青年皇太子の問題点として指摘している。