小金井の御仮寓所が焼失して以来、皇太子は週4日を清明寮、3日を義宮御殿で過ごしていたが、渋谷区の旧東伏見宮邸の常盤松御用邸を東宮仮御所にすることが決まり、2月11日に入居した。

 高台にある2階建て洋館だったが、建物の一翼は和式で、畳敷きの寝室がいくつかあった。建坪は400坪。庭園とテニスコートもあった。2階に皇太子の寝室の日本間、書斎、隣に個人授業用の洋室があった。玄関に向かって右翼は東宮職の管理棟として使用された。

 家具、調度品は赤坂離宮にあったものが持ち込まれた。スチーム装置はなく、洋間にはガスストーブ、日本間には火鉢が置かれた。冬は寒かったが、小金井よりずっとましだった。

 バイニングは「私たちは特にお稽古にあてられた部屋で授業をした。部屋には黒板、四角いテーブル、まっすぐな椅子、ピアノ、飾り戸棚があった。窓は庭に面していて、ずっと下に続く町の屋根が見える。殿下が一般の人々の住居の見える所にお住まいになるのはこれが初めてだったので、私は殿下がそこに見える生活に興味をお持ちになるかどうか知りたかった(*6)」と書いている。

 明仁皇太子は新しい家を気に入った。友人には「いままで住んだ家のなかで一番好きだ」と話したが、がっかりすることがあった。東宮職は皇太子が常盤松で過ごすのは週の半分で、残りは従来通り小金井の清明寮で寝起きすることに決めた。

 皇太子は不満だった。寮生に親しい顔ぶれがいなくなっていたこともあった。

 ある学友に「こんな生活を続けなきゃならないなんて、まったくいやになってしまう」と話した(*7)。

外ヅラの悪かった皇太子
晩餐でみごとなホストぶり

 バイニングは新しい東宮仮御所で、こんどこそ皇太子と義宮が一緒に暮らすことを期待していた。当初、週4日は義宮が仮御所で過ごす慣例ができたが、バイニングが帰国したあとは取りやめになった。

*6 『皇太子の窓』352頁

*7 『知られざる天皇明仁』97頁