皇太子のスキー旅行について、天皇は「自分が皇太子のころは行けなかったのでうらやましい」と田島にこぼしている。近代以降の天皇では明治天皇にもっとも自由があり、次いで大正天皇で、自分には自由がないと言う。ただ、皇太子としては大正天皇、そして自身の順で自由があり、現在の明仁皇太子が「一番自由がない」とも話していた(*3)。
明仁皇太子に熱意が乏しいと見られていたのは、性格の問題というよりも、自由のない境遇への懐疑、煩悶であったかもしれない。皇太子は平衡感覚に優れていて、スキーはすぐに上達した。夜は皆とトランプ遊びなどに興じ、この旅行中は明るい笑顔に満ちていた。ところが、冬休みが明けて3学期が始まると一変していた。
登校して来た皇太子からは、スキー旅行中の笑顔は忽然と消え失せていた。「学校はつまらない」とぼやくこともあった。橋本によると「このころの皇太子は感情の起伏、振幅の度合が激しい性格であり、周囲にいる者に異和感を与えやすかった」という。
ある学友は「殿下の周囲には人がいるようであるが、案外少ない。それもうなずける」と日記につづった。
橋本はこの時期の皇太子の公式行事での無表情と仲間内でくつろいでいるときの楽しげな様子を見ると、「これが同一人物かと疑いたくなるほど極端な差」があり、「外ヅラの悪さでは天下一品と評しても良かった」と書き残している(*4)。
一般の人々の住居が見える生活
今までで一番好きだ、と皇太子
人間的な面と非人間的な面を交互に見せる二重性。どうしようもない反発心が皇太子の心に渦巻いていた。
息子・為年が皇太子の学友であった入江相政侍従は、1月17日の日記に「午后戸田君が来て東宮様はじめ宮様方の御教育問題について大いに議論する。これらの問題は数百回やるのだが、それでも尽きる事がない。戸田、東園両君が帰つてから黒木君が来る。又色々やり合ふ(*5)」と書いている。東宮侍従の戸田、黒木ら大人たちは皇太子の「外ヅラの悪さ」に翻弄されていた。
*4 『知られざる天皇明仁』95頁
*5 『入江相政日記』第2巻361頁