日本人は発信力より受信力を鍛えられてきている
――日本のビジネスシーンにおいてあいまい語が好んで使われるのは、何か理由があるのでしょうか?
木暮:あいまいな言い方自体は、英語におけるビジネスシーンでもけっこうあるんです。ただ英語で話す場合は、絶対に理由を伝えなければいけないんですよ。
欧米のカルチャーとして、何事も必ず理由を聞かれるというのがあります。「何でそう思ったの?」「どうしてそこに行きたいの?」などと。
何を話すにしても、むしろ理由のほうを長く説明しなければならないくらいです。だからあいまい語に関しても、その理由の説明の中で目的が明確になるというか、明確にしなければいけなくなるんだと思います。
――言葉だけで終わらせない言語文化みたいなものがあるけれど、日本の場合は言葉だけで終わってしまう文化があるということなんですね。
木暮:理由を聞くのが悪いことというか、「自分で考えろ」みたいな風潮はあると思います。それに慣れてしまっているから、みんな聞けなくなっているんでしょうね。
――聞くのは理解力がない証みたいに思われそうで聞かない、というのはありそうですね。でもその風潮は改善していかないとダメですよね。
木暮:僕らは発信するトレーニングをしていなくて、受信力ばかり鍛えてきているんです。国語のテストだって、読み取る力を問うものばかりですよね。「このときの筆者の気持ちを答えよ」とか。そんなの筆者しか分からないと思うんですけどね。
僕の文章も何回が入試に使われたことがあるんですけど、最後に必ず聞いているんですよ、「このときの筆者の気持ちを答えよ」と。でも正解を答えられるとしたら、僕だけじゃないですか。だけど試験問題を作った人が勝手に「答え」を作っているわけです。
――言われてみれば、「自分の意見を述べよ」という設問はあまりないですね。
木暮:ないと思います。相手が言っていることをその場で汲み取って正しく答える、これが僕らのされてきたトレーニングなので、「分からない=アホ」となる。そういう傾向があるのは強く感じますね。
――でも決してアホなわけではない、分からなくて当たり前だと。
木暮:分かる・分からないではなくて、特定しなければいけない話なんです。そもそもビジネスではいかなるときも、相手が求めることを特定するのは当たり前として必要なことですよね。
たとえばレストランに入ってきた客に対して、注文は聞かないけど推測します、という人はいないじゃないですか。「当ててみて」と言われているのに聞いているわけではなくて、特定が必要なシーンで聞いているわけですから、何も悪いことではないという話です。