資本主義経済から信用主義経済へ――。次々と話題作を発表する作家・平野啓一郎さんと、『なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?』の著者・山口揚平さんが語り合う、時間と信用、そして「分人化」の関係性とは。

本を読んで面白くなかったら、
「金を返せ」より「時間を返せ」と人は思う

平野 山口さんのご著書『なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?』を読んで納得したのですが、世の中を流通するお金がすごく増えているということは、みんな何となく感じていると思うんです。一方で、どうしても増やせないのが「時間」です。山口さんが強調されていた「信頼」を培ううえでも、時間こそが肝になるのではないかと僕は思っています。なぜなら信頼は、結局、時間コストとものすごく関わっているはずだから。

山口 なるほど、面白い視点ですね。

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)プロフィル 1975年、愛知県生まれ。京都大学法学部卒。98年、在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』でデビュー。同作が第120回芥川賞を受賞する。2009年に芸術選奨文部科学大臣新人賞を受賞した『決壊』、第19回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を受賞した『ドーン』など数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。近著に『空白を満たしなさい』(講談社、2012年)、『私とは何か −「個人」から「分人」へ−』(講談社現代新書、2012年)。公式ホームページhttp://k-hirano.com/ ツイッター@hiranok

平野 ニクラス・ルーマンという社会学者が著書『信頼』の中で、「信頼は世界の複雑さを縮減するための機能を担っている」と書いているんです。この本はアイデンティティの問題まで含めて、非常に面白い議論を展開していて、『私とは何か ー「個人」から「分人」へー』を書く時にも色々ヒントになったのですが、単純に、僕たちは朝起きて寝るまでいろいろな選択をするなかで、膨大にある選択肢の中からひとつを選ぶにあたって、信頼をよりどころとすることで時間コストを圧縮したいという気持ちがとても強い。

 僕の本を読んだ読者の感想を見ていても、気に入らなかった人は「金を返せ」というより「時間を返せ」と言うんです(笑)。時間を失ったことに対する怒りがものすごい。

 その感覚、分かる気がするんですよね。可処分所得は増やせます。でも、可処分時間を増やすことはもっと難しいし、限界がある。で、とにかく可処分時間がネットに食われる昨今、行動の内容も分散しているため、趣味のそれぞれに費やす時間は減っているはず。だからこそ、「ハズレを引きたくない」という気持ちがものすごく強くなる。だから信頼できる本を選びたい、と。これは、読むという作業にある程度の時間を要する本の選択において、特に顕著だと思います。

山口 ビジネスの話をしていても、余計な回り道をして時間を費やしたくないという傾向は強まっていますね。みな「Stick to the point!(早く本質を話せ)」と言う。

 実は、平均寿命はここ30年で15年以上伸びているから、時間自体は余っているのです。ただこれは仕事に従事して、お金や価値を生み出す生産的な時間が増えているわけではない。つまり、時間コストが増えているのです。だから、価値を生み出す生産時間から時間コストを差し引いた人生の“正味の時間”は減っているのかもしれない。そういうわけで、なおさら、時間価値を大事にしようと、みな直感していると思いますね。