山口 ひとつの物事についての価値判断には、分人化していても、ある種の全体的な一貫性というものが求められるというわけですね。
平野 ええ、分人化というのは、何でもかんでも相手のいいように言えばいいというわけではありません。
それと山口さんの本に書かれていた、お金を頼らない経済において信用がとても大きな部分を占めている、という点には賛同するのですが、僕は信用以外にもお金に代わる要素があるのではないかと考えています。たとえばショパンという音楽家を例にとると、彼が出入りしていた社交界の生活水準は、実際に彼が稼いでいた収入からすると、明らかに上だったはずなんです。つまり、才能のおかげで生活費が相当節約されているわけですね。
山口 つまり信頼しているからというより、才能のある人だからプレゼントしたいとか、パーティーに招待したいと思われるわけですね。
平野 そうです。ただ、その才能の役に立ちたい、と。僕だって、今ショパンが生きてたら、何でもタダ働きします(笑)。
もうひとつの例として、僕が小説を書くに当たって、何人もの関係者に取材するときのことを挙げます。たとえば『決壊』という作品では、警察関係者や弁護士、テレビ局の人など、かなりの人数の方に話を聞きました。そのとき迷ったのは、どのぐらい御礼をするべきかという点です。相手の時間を2〜3時間もらって貴重な話を伺うわけですから、当初はいくらかお金を支払わなければいけないと考えていました。でもしばらく取材していて、みなさんお金がもらえるから話してくれるわけではないんだ、と気がついたのです。とにかく面白そうだとか、僕が書こうとしている本に参加したいという思いを持ってくれているケースが多かった。
山口 まるでクラウド・ファンディングのプロジェクトみたいな感じですね。
平野 まさにその通りです。食事をご馳走するとか、菓子折を持っていくとか、それくらいは気を遣わないと話になりませんけど。あとは純粋に「言いたい」という気持ちもあったと思います。内部で感じている矛盾を僕に仮託して書いてください、と。
もちろん今挙げたようなことは、どれも多少は信用と関わっているでしょうが、その周辺のかなりいろいろなことが、どうもお金を介さずに動いているらしい、とご著書を読みながら改めて意識させられました。「優しい」とか「一緒にいて楽しい」という気分も、そこに含まれるかもしれない。僕の言い方で言うなら、「その人といる時の分人が好き」ということですが。