対人関係ごとに個別のアイデンティティを持つ、
「分人」という新しい人間の捉え方

撮影:住友一俊

山口 会社や国境のカベが崩れてきて、多くの人が実感としては、対人関係ごとに「いろんな自分」を生きていると気づいていたと思うのですが、それを肯定したのが、平野さんが『私とは何か ー「個人」から「分人」へー』、『空白を満たしなさい』で提唱する「分人」という考え方です。僕の本の中でも近い概念について書いているのですが、これまでの自分というものに対する理解、つまり「本当の自分」がいくつかのペルソナ(人格・外的側面)を持ってコミュニケーションをしているという考え方ではなく、実は、対人関係ごとにそれぞれの本当の自分がいるというこの「分人」という思想が、とても多くの人に勇気や癒しを与え、肩の荷を下ろさせたような気がするんですね。僕自身もすごくしっくりときました。「分人」の集合が個人なのだという考え方ですね。

平野 そうだったら、すごくうれしいです。山口さんも著書の中で書かれていますが、これまではひとつの会社に就職してずっと勤め上げるのが主流で、そうした安定的でスタティック(静的)な構造の世の中に1人1人の個人がうまく収まっていました。その社会構造には「首尾一貫した人間」というモデルが合っていたと思います。「信頼」を得るためにも。でも今、社会は激動の時期に入っていて、ものすごく変化しています。自分が関わっている業界や分野があるとき急に凋落したり、付き合っている人との関係が急に悪化したり、と不確定要因が以前より増えてるのではないでしょうか。

山口 いろいろなリスクの中で生きていかなければならないから、それぞれの場所に最適化した自分を肯定していく必要がある、というわけですね。

平野 だいたい今の世の中、「どこに行っても俺は俺」というのを貫く美学を表面上では推奨しながら、一方ではそういうKYな(空気を読めない)ヤツをウザがる風潮がありますよね。そのダブル・バインドの中で僕自身もずっと矛盾を感じてきたし、苦しんでいる人も多いと思います。

 ただ、僕のようなフリーランスは明日どうなるかわからない身ですけれど、複数のコミュニティといつも関わっているので、どこかがダメになっても他所でなんとかなるという安心感はありますね。たとえば1人の個人がいくつかの会社に所属できるようになるとか、そんな社会システムになればいいと思います。

山口 同感ですね。ただ伺ってみたかったのは、「分人」という考え方と信頼をどう両立させるのか、という点です。コミュニティをいろいろ持つことができ、それぞれに合わせた顔が持てるのはいいと思うのですが、そのなかで一貫した信用を築けるのか。

 資本主義経済はみんなが共通の通貨を持って、100円を100円だとみんなが信用している世界です。でも僕の本でも書いた21世紀の中心となる信用主義経済では、信頼関係に基づいて相互に価値交換をする世界ですよね。この場合の信用を分人化された社会に当てはめると、Aさんとの間では信用があるけれど、Bさんとの間では信用がない、ということもあり得るわけです。そして、Aさんに対する自分とBさんに対する自分は必ずしも均質ではない。

 つまり、分人化していくと、その人の一貫性が失われるのではないか、と危惧します。“一貫性というのは信用の本質”です。分人化した人たちも生きていくためにはお金が必要だと思うのですが、お金イコール信頼で、信頼の前提が一貫性にあるとするならば、どうやってそれを担保していくべきなのか、が悩ましいのではないかと感じました。