夫が戦死したあと女手ひとつで息子と障がいのある娘を育て、2人が自立したあとは102歳までひとり暮らし。108歳の今も現役で美容師を続ける街の名物おばあちゃん・シツイさんの元気の源とは。本稿は、箱石シツイ『108歳の現役理容師おばあちゃん ごきげん暮らしの知恵袋』(宝島社)の一部を抜粋・編集したものです。
女手一つで子ども2人
理容の腕が支えてくれた
娘と息子を連れて、両親が住んでいた実家の隠居から今の家に引っ越してきたのは、わたしが36歳のときでした。娘が13歳、息子は10歳。やっと誰にも遠慮しないで暮らせるわたしたち3人の家が持てました。
それからは、理髪店開業時に借りたお金の返済と、息子の教育費のために、無我夢中で働きました。余裕はありませんでしたが、「背水の陣」とでも言いましょうか、もうあと戻りはできない、こうなったらよそ見をせずにただただ働くしかない、毎日そういう思いで突き進んでいました。
その頃に思い出していたのは、わたしが床屋の見習いになるかどうしようかというときに、父が言った言葉です。「結婚して子どもができたあとに、旦那に先立たれでもしたら、女ひとりで子どもを育てていくのは並大抵なことではないぞ。そんなときに助けてくれるのは、身につけた仕事の技だ」。まるで予言だったかのように、そのとおりになっているな、と……。
そうなんです、理容の腕がわたしを支えてくれたのですね。
「理容 ハコイシ」を開業してから、あれこれと店と家庭を助けてくれた息子は、横浜の高校に進学するために家を離れました。のちに身体を壊してしまい、家に戻って地元の高校に編入したものの、その2年後には大学進学のために、また上京しました。
重度障がい者の娘は
自立してひとり暮らし
娘は障がいがありましたので、わたしのそばでずっと暮らすのだろうと思っていましたが、わたしの仕事を見ていたからでしょうか、娘も「何か仕事ができるように技術を身につけたい」と言うようになりました。そして、わたしに内緒で福祉事務所に相談をして、千葉にある福祉施設へ入所することを決めてしまったんです。
反対したんですけれど、「この家の中にだけいたのでは、英ちゃんにお嫁さんができたときにうまくやっていけない」なんて言いましてね、説得されるかたちで。そこに11年いまして、編み物を学んで、本科のお免状をいただくまでになりました。はじめは何もできず、針に糸を通せるようになるのに1週間かかったそうです。