土田 あ、いや、違います。当時もう付き合っていて、帰りはニッポン放送からタクシー代が出るので、今の嫁さんも終わり時間に待ってて一緒にタクシー乗って帰るっていう。

三宅 そういうことか、びっくりした。あの頃はタクシー券バンバン出てたよね。

土田 どの局でも、深夜とか関係なく、昼間も全部タクシー券でしたよね。

三宅 『ヤンパラ』終わりは毎日のように飲み行ってたもんな。曜日ごとにディレクターが違うから、それが楽しみだった。

10人くらいのハガキ職人の男子を
実家に住んでいた頃に泊めた

土田 でもリスナーとの距離でいえば、出待ちよりも、やっぱり常連ですよね。いまだにハガキを出してくれていた常連のことは覚えてますよ。

 それこそ、まだ実家に住んでいた頃、ハガキ職人の男子10人くらい、家に泊めたことありますもん。

三宅 ええ!?本当に?

土田 はい。『オールナイトニッポン』の2部をやっている頃で、夏休み期間だったのかな、営業で茨城に行ったら、どっからどう見てもハガキ職人の男の子がいて。もう遠くからでもわかるんですよね。

 で、営業が終わって、出待ちの女の子たちにサインしていたら、列に交じっていたその男の子が「はじめまして、ハガキ職人のエアブリーフです」って。

三宅 いかにもハガキ職人の名前だ(笑)。

土田 僕もうれしくて「いつもハガキありがとうね」なんて話をしながら、ちょうど次の日にお台場でハガキ職人を集めるイベントの予定があったので、「明日のお台場も来るの?」って聞いたら、「今日ここに来るためにお金使っちゃって、明日は行けないんです」って言うんです。

 まだ高校生だったから、お金なかったんでしょうね。「じゃあウチ来いよ」って言って、お母さんに電話かけてもらって、僕も電話代わって「太田プロで芸人をやっている土田という者なんですけど」って、お母さんに事情を説明して、そこで許可をもらって。