2023年の全国高等学校野球選手権大会で、107年ぶりに優勝を果たした慶應義塾高等学校こと慶應高校。同部の森林貴彦監督は、甲子園で全国制覇を果たした3年生たちに「甲子園優勝というのを人生最高の思い出にしないようにしよう」と話したという。その言葉に込めた真意とは?※本稿は、加藤弘士氏『慶應高校野球部――「まかせる力」が人を育てる――』(新潮社)の一部を抜粋・編集したものです。
旧来の野球型人材は不要?
「AIが全部やってくれる」
就任3年目の2018年。森林貴彦は初めてチームを甲子園に導く。しかも春夏連続での出場。夏は第100回記念大会となり、激戦区・神奈川は南北に分かれ、北神奈川代表として聖地の土を踏んだ。
子供の頃から憧れ続けた舞台。そこに指揮官として立つことができたのだ。しかし、「出る側」になって感じた高校野球を取り巻く環境に、疑問を感じる自分がいた。
「甲子園出場、もちろんうれしいですよね。選手も保護者もOBもみんな喜んでいる。だけど一方で、高校野球という枠の中で勝った、負けたって、なんかそれって小さいなと思ったんです。このままでいいのかな、何か変えないといけない、という危機感ですよね。たしかにプロ野球にお客さんは集まっているし、甲子園も盛り上がっているけれども、野球をやる子供たちは減っている。甲子園に出たからバンザイとか、そこで勝ったら偉い、負けたら偉くないとか、全然違うなって思うようになったんです」
森林の人脈は野球界だけに止まらない。広くビジネスの世界で活躍する人々とも親交が深い。時代は急激なスピードで変化を続けている。なのに、野球界はなかなか変わらない。変わろうとしない。
「一昔前は『高校野球をやっていました』という人は社会で評価されました。上司に言われたことを忠実にやり、余計なことはしない。挨拶や礼儀もしっかりしているし、体力があって、へこたれない。でも今の世の中で、上の人間の顔色をうかがって、言われたことしかやらず、枠からはみ出ないようにやるような旧来の『野球型の人材』って、一番要らないタイプなんじゃないかと思うようになって。そんなのもう、AIが全部やってくれますよ。
野球界が社会で必要とされない人材を大量生産しているんじゃないかという、教育的な危機感を感じるようになったんです。野球で勝った負けたではなく、この危機感を持って、高校野球のあり方自体を変えていかないといけないんじゃないかと。もちろん、勝たないと発言力はない。だから、勝っていろいろ言ってやろうと」
優勝メンバーのほとんどが
野球観に共鳴して入学
夏の甲子園を終えた後、森林のもとに東洋館出版社から書籍刊行のオファーが届いた。それから2年後の2020年秋、その思考は『Thinking Baseball――慶應義塾高校が目指す“野球を通じて引き出す価値”』という1冊になって全国の書店に並んだ。