のちに明仁皇太子は琉歌に詠んだ。城山にはこの琉歌の歌碑が建立された。
皇太子夫妻が沖縄県民の「心」を
突き動かしたある“一言”とは?
日本を含め37カ国、3国際機関が参加した沖縄国際海洋博覧会は1月18日に閉幕した。夕刻の閉会式には皇太子夫妻のほか、三木武夫首相ら四閣僚、屋良沖縄県知事や3カ国代表など約1100人が出席した。半年間の開催期間中の来場者数はのべ約348万5000人で、当初予想を100万人近く下回った。
閉会式の前、夫妻が宿泊していたホテルに沖縄の歴史家・宮城栄昌ほか文化財上の各分野の研究家が集まって座談会が行われた。明仁皇太子は沖縄の歴史、生物、美術工芸、芸能などについて質問した。イリオモテヤマネコ、イノシシ、ネズミ、ゆうなの花や琉歌が話題になり、文化財の保護の仕方を論じた。美智子妃は琉球和紙の芭蕉紙に興味を示した。
夫妻は18日夜に帰京した。翌日の在京紙には夫妻の訪問が「沖縄の心をどう変えた」という記事が掲載された。
「ご夫妻は〔出迎えた県民と〕予定外の握手を交わされ、人波の前でつぎつぎと言葉がかけられた。「お元気ですか」「お大事に」型通りのものも多かったが、声をかけられた人たちは一様に身を固くし、答える言葉も震えていた。〔略〕沿道に並ぶ表向きの顔はともかく歓迎一色だった。「県民のどこか割り切れなかった気持ちは、前回の火炎びん事件で結果的にはふっ切れたんじゃないか。それに海洋博をきっかけに本土は加害者、沖縄は被害者という意識からの脱却、経済自立しようという気持ちが、歓迎という形をとったんじゃないか」と、地元紙のある記者は沖縄の複雑な心の内を代弁する」
皇太子夫妻の沖縄への思いは一過性のものではなかった。4月には演奏会のため上京していた沖縄の箏曲家を東宮御所に招き、鑑賞会を開いた。曲目は「茶屋節」、「鶴亀節」、「だんじょかれよし」など7曲。「鶴亀節」は夫妻の成婚祝賀音楽会が沖縄で開催されたときに演奏された記念の曲で、「だんじょかれよし」は夫妻のリクエストだった。