飛行機はアカバ湾岸に着陸。そこで待ち受けていたフセイン国王運転のボートで夜の紅海のクルージングを楽しんだ。日本側は何も知らされておらず真っ青になった。

ユーゴスラビアとイギリスでの
皇太子夫妻への「熱い」大歓迎

 12日、夫妻はユーゴスラビアの首都ベオグラードに着いた。アドリア海に面した観光地ドブロブニクでくつろいだ後、夫妻は14日に同国建国の指導者チトー大統領夫妻と会見した。写真好きの大統領へ裕仁天皇からの日本製のカメラセット、大統領夫人には良子皇后からの有田焼のコーヒー茶碗セットが贈られた。皇太子夫妻とチトー大統領夫妻は午餐会をはさんで3時間以上も歓談した。

 ユーゴでの日程を終えた夫妻は15日に英国のロンドンに入った。明仁皇太子はエリザベス女王の戴冠式に参列してから23年ぶり、美智子妃は結婚前年の1958(昭和33)年以来だった。訪問は天皇の名代としての国賓ではなく、女王の客としての旅行だったため、空港での出迎え行事も簡素に行われた。地元メディアの報道も小さく、熱狂的な歓迎を受けたヨルダンと好対照の「冷めた扱い」と報じた日本の週刊誌もあった。国賓ではないので英国側の対応は不当とはいえず、英国コンプレックスによるひがみ報道だった。

 英国滞在は10日間。女王の客として英国王室一家にウィンザー城に招かれた皇太子夫妻は、女王夫妻とともにアスコット競馬場を訪れ、乗馬を楽しんだ。英国外相主催の晩餐会も開かれるなど国賓並みに遇された。日程はかなりハードで、夫妻はスコットランドのハイランド地方、ウェールズの炭鉱などを見て回り、6月25日に帰国した。

 2週間あまりでの3カ国訪問で夫妻の飛行機、ヘリの乗降回数は19回、晩餐、レセプションなどへの出席は30回に上った。未消化の答礼訪問が山積しているため、一度の外国訪問で複数国を回ることが通例になり、日程も詰め込み過ぎの傾向があった。夫妻がまだ40代前半で体力があったからこそ可能だった。