そのような印象を与えるところも、思ったことをハキハキ表明したがり、同じことを何度も口にしたがるというニューロマイノリティの特徴と重なっています。
子ネコが、世話を焼いてくれるムーミンママを、じぶんよりももっと好きになるんじゃないか、と不安になる場面は、子どもにとってもおとなにとってもありふれた愛情の喪失に関する不安と言えるでしょうけれども、そのような不安は他者に嫌われることが多いニューロマイノリティにとっては、なおさら身近にある問題だということは強調しておきたいです。
「子ネコ」(プッシー)も
「洞窟」も女性器の隠喩
二村さん(編集部注/AV監督・文筆家の二村ヒトシ。横道誠氏の著書『なぜスナフキンは旅をし、ミイは他人を気にせず、ムーミン一家は水辺を好むのか』に「大人のテーマが描かれている(ように僕には思える)ムーミン・シリーズ」というコラムを寄稿)は、ムーミントロールとスニフが擬似的な兄と弟のような存在で、スニフが子ネコや洞窟を発見するのは、弟分が兄貴分に先駆けて童貞を喪失する物語として読めると言っていましたが、なるほどそのような精神分析的な解釈も可能だと思います。子ネコ(英語でプッシー)は女性器の隠語ですし、「侵入口」を持つ洞窟もそのようなものと見立てることは不可能ではないでしょう。
私自身は文学作品の精神分析的解釈に対してそれほど賛成的な立場ではないのですが、トーベ自身が精神分析に関心を寄せていたので、その事情を勘案するなら、ムーミン・シリーズを精神分析の流儀で読解するのには、それなりの妥当性があると考えられます。
スノークのおじょうさんもとりわけ気になるキャラクターのひとりです。シリーズを通してフェミニティ(女性性)またはガーリッシュネス(女の子らしさ)が強調されていて、『ムーミン谷の彗星』でも、ムーミントロールの眼の前で、おしゃれな足輪をつけた姿で体をひねってみせるさまには、なんとも言えないかわいらしさがあります。
この作品を描いた時点でトーベはまだ女性との恋愛を経験していませんが(編集部注/後年は女性のパートナーと暮らしていた)、すでに女性的なものへの恋心があって、それがスノークのおじょうさんというキャラクターに結実したのかもしれません。お姫さま的な、あるいはスクールカースト流に言うなら「一軍女子」的な女の子への憧れもあったでしょうし、じぶん自身がそのような女の子だったらと夢見たことがまったくないと考えるのだって、かえって不自然でしょう。