遊女に過酷な生活を強いたのに…「遊廓」が江戸時代に「楽園」と称された意外なワケ写真はイメージです Photo:PIXTA

艶めかしく豪華絢爛なイメージがある一方で、遊女たちの過酷な運命も想起される場所、吉原遊廓。当時の市井の人々はこの地をどう認識し、受容していたのか。遊廓に関する研究を行っている高木まどか氏が解説する。※本稿は、高木まどか『吉原遊廓 遊女と客の人間模様』(新潮社、新潮新書)の一部を抜粋・編集したものです。著者の苗字は正しくは「はしごだか」。

人々が「遊廓」が抱く
明と暗のイメージ

「遊廓」と聞いて、読者の皆さんはどんなイメージを抱くでしょうか。

 豪華な着物を身にまとい、煌びやかな簪(かんざし)をふんだんに髪に挿した美しい女性。その女性が、酒を酌み交わしながら客の肩にもたれかかる。ドラマや映画で目にするそうした艶かしくも煌びやかな情景の舞台は、大抵、幕府公認の買売春地区である「遊廓」です。

 遊廓というのは、どんなに美しく描かれようと、言ってしまえば買売春の場です。しかし、遊廓というものをよく知らないと、そうしたどこかで目にした華やかなシーンのみで語ってしまうことになりかねません。

 遊廓の華やかさに目を奪われてきたのは、研究者も同じです。比較的近年に至るまで、遊廓は美しいばかりの場ではないことが前提とされながらも、そこが江戸時代における「特異な社交場」であり、かつ「文化の発信地」であったことが主に注目され、なぜ遊廓がそのような場になったかを解き明かすことに多くの研究者が奔走してきました。

 一方で、遊廓は売春に従事した女性が過酷な生活を強いられた、残酷な性売買の場であったとのイメージも根強いでしょう。親兄弟の借金のカタに売られ、寝る暇も食べる暇もなく客をとり、病気に罹ればあっという間にお払い箱。買売春自体への嫌悪もあり、遊廓という単語を聞くだけで眉をひそめるひともいます。

 とりわけ近年においては、当時の遊女の実態に迫るすぐれた研究が次々と世にだされ、「文化の発信地」では済まされない、過酷な遊廓の実像が広く知られてきてもいます。かつて人気を博したテレビドラマ『JIN―仁―』では、華やかさと背中合わせの闇の部分が丁寧に描かれて視聴者を惹きつけました。いつ梅毒に罹ってもおかしくない遊女たちの残酷な日常。その恐ろしさをまざまざと感じ取った方も少なくはなかったでしょう。