いずれにせよ、いろんな学生が人々の多様性の実例を私に教えてくれる。それを利用させてもらって説明できるので、すごくラッキーな立場にはいると思います。

性別二元論に生き方を
否定される人たち

能町 実例ですからね。環境が揃っていて、相手もそういうことを言ってくれる状況にないと、知ることもできないですもんね。

 ともあれ、性別二元論じゃダメ、ということが最終的な結論ではあるんだけど、その前の段階をおざなりにすることもダメだということですね。

編集者 おふたりから見て、性別二元論ってどんなふうに見えるか、あらためてお聞きしてみたいです。おふたりだったら、性別二元論をどんなふうに批判しますか?

森山 まず、性別二元論はノンバイナリー(編集部注:性自認が男性・女性のどちらにもはっきり当てはまらないセクシャリティ)の人の生き方を否定していることは批判したいですね。「あなたは人の性別を男女に分けたいかもしれないが、男性でも女性でもない性別の人として生きている人がここにいる」と強く主張したい。

 ただし、ノンバイナリーを「その他の性別」だと言っていいのかというのは、また別の問題としてあります。「その他の性別」って、男女の二元論を前提として、それに当てはまらない対象を指していると思うんですけど、本当はそこで終わりじゃない。

 男女の性別の分け方そのものを私は全体として拒否しているので、私が「それ以外の性別」だって言いたいんじゃない、そういう枠組みのもとに話を考えたり、人々の性別を割り振ったりすること全体を批判しているんです、っていうノンバイナリーの人もいますし、そのように考えている人はノンバイナリー以外の人にもいます。

能町 たとえば私は「男・女」という選択欄があったら女に丸をつけるんですけど、それは便宜上のものというか、「どちらかというと女」みたいな感覚です。

「男か女か、そのあいだか」という
一直線上の判断基準に疑問

能町 でも、手垢のついた表現ですけど「男と女はグラデーション」っていう言い方があるじゃないですか。どんな男にも女性性はある、どんな女にも男性性はある、みたいな。それに従って、男か女かの一直線の軸のあいだに自分で目盛りを打っている、というのとも違うんです。なんだろうな……直線上ではない、平面上あるいは立面上のグラデーションとでも言ったらいいのかな。