口べたで人見知り、営業職に就いて最初はまったく売れなかった元野球選手は、なぜ高額の報酬を手にするトップセールスマンになれたのか。日本での刊行は1964年。世界中で50年以上にわたって読み継がれ、営業のバイブルとして知られるのが、『私はどうして販売外交に成功したか』(フランク・ベドガー著)だ。情熱を持って仕事にあたれば必ず成功できる、と説く27の原則とは?(文/上阪徹、ダイヤモンド社書籍オンライン編集部)

私はどうして販売外交に成功したかPhoto: Adobe Stock

真っ先に記された「自分の仕事に情熱を持て」

 営業という仕事の本質は、何十年経っても、ビジネス環境が変わっても、変わることはないのかもしれない。

 そんなことを感じさせられるのが、『私はどうして販売外交に成功したか』(フランク・ベドガー著)だ。むしろ、営業活動に有益で便利なツールがたくさん出てきた今こそ、改めて本質に立ち返ることは大きな意味を持つのではないか。

 著者は元プロ野球選手だった。だが、試合の最中に腕を痛め、野球を断念せざるを得なくなる。29歳で故郷のフィラデルフィアに戻ると、生命保険の外交員になるが、最初はまったくうまくいかなかった。

 ところが、それから12年の間にトップセールスマンとなり、巨万の富を築き、豪華な邸宅を買い、40歳で第一線を退いた。本書は、自身の体験に基づき、セールスとして成功するための27の原則を説いた1冊だ。

 著者がその冒頭で第一のテーマとして掲げたのは、情熱。「自分の仕事に情熱を持て」である。これは野球においても、セールスにおいても同じだった。実は著者は野球選手時代、一度「ノロマだ」とチームをクビになっていたのだ。マネジャーからは、こう諭された。

「フランク君、そんなことじゃ一生涯伸びっこないよ。このチームから去れば、あるいは何か違った職業につくだろうが、何の職業についても大いに勇気を出して、その仕事に熱中するようにならなければ、一生うだつは上がらないよ」(P.2)

 著者は大きく給料を下げて、同じ地域の他のチームに移籍する。その数日後、ベテラン選手の誘いで地方のプロ野球リーグで再起をかけることに決めた。これが、彼の生涯の最大の転機となる。

10カ月間、生涯で最も失望落胆のどん底に喘ぐ

 地方のリーグでは、著者の過去について知る者はいなかった。そこで、著者は今後、誰からもノロマだなどと非難されないようにしなければと、ひそかに決心をした。チームの中で、つとめてキビキビとした動作、いきいきとした言葉で張り切ったのだ。

私は球場に現われると、あたかも一〇〇万ボルトの電池を背負っているもののようにキビキビと活躍したものだ。私はダイヤモンドの周囲に猛烈なスピードで送球するので、内野手も思わず落球してしまうほどだった。(P.3)

 プレイに熱中することで、失敗するかもしれない、非難されるかもしれないという怖さが克服できた。その熱心さは同じチームの選手たちにいい影響を与え、彼らまでもプレイに熱中させた。体調も良くなった。メディアも彼を好意的に取り上げた。

 10日後には熱意を買われ、25ドルだった月給が、185ドルまで引き上げられた。収入が、700%も増したのだ。野球選手としてのスキルが変わったわけではないのに、である。

私の月給がこのように途方もなく増加したのは、送球が巧くなったからでもなければ、キャッチングや打撃が巧妙になったからでもなく、また野球選手としての能力が向上したからでもなかった。単に物事に対して熱意を持って当たったという、たったそれだけのことである。もちろん、私は以前に比べて、別に野球に関する知識が深くなったとも思わなかった。(P.5)

 評価され、給料が上がった理由は、毎日、物事に対して火の玉のような熱意でぶつかったから、だった。ところが、それから4年後に彼は試合中に怪我をしてしまう。腕を折ってしまったのだ。そのために野球を断念しなければならなくなった。

その当時の私にとって、これは、筆舌にもつくせぬ悲惨なことであったが、今日振り返ってみると、むしろ私の生涯にとって最大の幸福をもたらす出来事だったのだ。(P.6)

 ただし、最大の幸福がもたらされたのは、まだまだ先の話である。故郷に戻って2年間は家具の月賦販売の集金人となり、自転車で駆け回って生計を立てた。その後、生命保険会社の外交員として保険契約の仕事を始めたが、10カ月間、生涯で最も失望落胆のどん底に喘ぐことになる。

 憂鬱な気分で仕事をしていたので、保険契約などとれるはずもなかった。そしてとうとう、自分はセールスマンとして適任ではない、という結論を下してしまう。毎日、求人広告を見ては、こんな仕事はどうか、あんな仕事はどうかと迷うような日々を送っていたのだ。しかし、やがて一つの気づきを得る。

仕事に情熱を傾けることによって収入が二倍、三倍に

 彼は、かつて自分の野球選手としての生涯を破滅に追い込もうとした出来事を思い出した。失敗を恐れ、非難を恐れ、ビクビクと過ごした日々。

 熱中もできず、まわりにも好影響を与えられない。そんな状態が、今度はセールスマンとしての自分の生涯を破壊してしまうのではないか、ということに気がつくのだ。

その夜、私は自分の生活を転換する決心をし、どこまでも、この生命保険会社にとどまって、かつて私がニューヘブンのチームに参加して、火の玉のようになって野球というものに打ち込んだあの情熱をそのまま、今度は販売の仕事に打ち込もうと決心したのである。(P.8)

 著者は、飛び込み訪問に挑む。その見込み客に、こんな熱心なセールスマンはいまだかつて一度もぶつかったことがない、と思わせるようにしようと決めた。

 興奮して、拳でテーブルを強くたたいてしまったほどだったが、見込み客は黙っていた。追い出されるのかと思いきや、彼は契約を手にしたのである。

その日以来、私の販売が始まったのだ。ちょうど野球選手となって、グラウンドを電気仕掛けの人形のようにかけ回ったときと同様に「熱意の魔術」が私の商売に作用しはじめたのだ。(P.9)

 著者はこうも書く。「拳でテーブルを殴りさえすれば誰でも必ず情熱が湧くものだとは考えないが、そうすることによって心に興奮が起こってくるならば、私は大いにこれをあなたに推奨したい」。

 足りないのは、仕事に向かう情熱なのだ。実際に著者は、仕事に情熱を傾けることによって収入を二倍にも三倍にも増したセールスマンをたくさん見ることになる。また情熱を燃やさないために失敗した、多数のセールスマンも数多く知ることになる。

私は熱意こそ、販売に成功する最大唯一の要素であると確信している。私はある保険の統計学的権威者を知っているが、この人は優に保険に関する本を一冊書けるだけの知識を持っていながら、保険契約を取ってりっぱな生活をするということはできていない。それは、どういうわけだろうか。彼には契約を取るということに対しての情熱が足りないのが、最大の原因である。(P.9)

 逆に、保険については貧弱な知識しか持っていないのに、多額の契約を取り、豊かな生活を続けなから20年を過ごしたセールスマンもいた。

 セールスパーソンとしての成功の要因は、知識の力ではなかったのだ。仕事に打ち込む情熱の力だったのである。これには、誰でも共感できるのではないか。情熱を持って仕事をしていないセールスパーソンから、大事な何かを買おうとは思わないだろう。

 そして情熱を手に入れるために、彼はこうアドバイスしている。「情熱の人となるには、情熱を込めた行動をせよ」と。

 情熱は誰かが与えてくれるわけではない。自分から、「よし、やるぞ!」と自分に言い聞かせるしかない。これができるかどうかが、成果を、いや人生を大きく分けるのだ。

上阪 徹(うえさか・とおる)
ブックライター
1966年兵庫県生まれ。89年早稲田大学商学部卒。ワールド、リクルート・グループなどを経て、94年よりフリーランスとして独立。書籍や雑誌、webメディアなどで幅広く執筆やインタビューを手がける。これまでの取材人数は3000人を超える。著者に代わって本を書くブックライティングは100冊以上。携わった書籍の累計売上は200万部を超える。著書に『彼らが成功する前に大切にしていたこと』(ダイヤモンド社)、『ブランディングという力 パナソニックななぜ認知度をV字回復できたのか』(プレジデント社)、『成功者3000人の言葉』(三笠書房<知的生きかた文庫>)ほか多数。またインタビュー集に、累計40万部を突破した『プロ論。』シリーズ(徳間書店)などがある。