下重 どうかしら……。義務感があったし、せめてもの罪滅ぼしという気持ちもどこかにありました。いつまでも素っ気ない娘でした。

秋吉 ある意味、お母さまに甘えていらしたのでしょうか。

下重 それはあると思いますよ。母にしてみれば、娘である私は頼ったり本音をぶつけたりできる唯一の相手だったはず。それなのに、毎晩電話はかけてくるにせよ、至ってドライな間柄だった。

とっくに結論を出しているが
相談する「フリ」だけはする

秋吉 後悔している?

下重 あれはあれで仕方なかったって思ってる。自分にできる精一杯のことはやった──そう思って自分を許すようにしてる。そんな状況のなかでも、母は私の優しさを信じていたと思うんです。

秋吉 優しい娘ですよ、ストレートに表現できなかっただけで。お母さまはそれも含めてわかってくれていたと思います。

下重 やれやれ……という諦念もあったのかもしれませんが、私の生き方も尊重してくれていたように感じます。「この人は、自分とは違う道を行くんだ」と。だから、時々ですが、私も母に相談する「フリ」はしました。もちろん、フリだけですよ。本当はとっくに結論を出しているので。そういう時、母はいつも賛成してくれました。

秋吉 それこそ、信頼関係で結ばれていたのでしょう。

下重 そうはいっても、亡くなってから10年くらい後のことです。いろいろ冷静に見つめられるようになったのは。

「少女」のままだった母に
反抗したくなかった

秋吉 話を少し戻すと、若き日の下重さんが徹底的に反抗できたのはね……お母さまが「大人」だったからだと思うんです。臆せず感情をぶつけることができる存在だった。言い換えると、お母さまは下重さんが反抗するに値する人だった。

 私の場合、母には反抗したくなかった。というのも、母は「大人」じゃなくって「少女」のままだった気がするから……。反抗できる対象ではなかった。一種、母と娘の立場が逆転している部分があったのだろうと思います。

 母の母、つまり私の祖母が亡くなる直前のエピソードですが、遠路はるばる故郷を訪ね、入院中の祖母を見舞った母の隣に私がいました。帰り道、何度も何度も病院を振り返る母の肩は小刻みにふるえていた……。ああ、弱い人だなあ、小さい肩だなあ。この人を守ってあげなくてはいけない、と思ったことを今でもはっきり覚えています。