下重 当時は、お母さまもまだ若かったでしょう。
秋吉 そうですね、私も20代後半くらいでしたから。何か話してあげなくちゃと思って、
「おばあちゃんは立派に生きた。人生に満足して、納得して。だからきっと天国に行けると思う」
「顔をみてそれがわかった。だから、そんなに悲しまなくても大丈夫よ」
肩を抱いて伝えました。それでだいぶ──。
死んで焼かれたら
「何もなくなってしまうの?」
下重 お母さまの気持ちはラクになった。
秋吉 そんな実感はありました。だからこそ、
「あの時はちゃんとやれたのに、どうして母自身が亡くなる時には上手くいかなかったんだろう」
これが私の背負う十字架となりました。
下重 どうしてそんなに自分を責めるの?
秋吉 自責の念よりも、母の心情を思うとやるせなくて。祖母の時、あれくらい安心させてあげられたような何かを、もしかしたらできたかもしれないのに、って……。
いよいよ体力が落ちて都内の病院の一室でケアを受けていた母は、ドクターにがんの告知をさせる隙を与えず、逆に、私と2人きりになった隙を狙ってあれこれ質問してきました。
下重 私の病気は重いの?本当の病名はなんなの?と……。

秋吉久美子、下重暁子 著
秋吉 はい。焼かれたら、何もなくなってしまうの?とも。
「もしそうなったとしても、魂は変わらないのよ。肉体は着ている服みたいなもので、天国には天国の服があるの」
そんな風に話をしたんです。
下重 よく頑張ったわね。それで、お母さまはなんと?
秋吉 なんとか腑に落ちたのか、「ああ、“柄違いの服”なのね」と無邪気に答えました。「この人、とんちが利いてるな」って思うとともに、この時はほっとしたんです。
下重 やっぱりね、死を前にしたかたは名言を残すものなんだと思いますよ。