ドイツの大学が人事を厳格かつ入念に行うのは、優秀な人材を確保したいためである。逆に、人事をゆるやかにすれば当然、人材の質に響くだろう。さて、日本の大学はどうだろうか。

学術的な専門書を持たないどころか
博士号すらない教授もいる日本

 筆者は日本とドイツなどヨーロッパの人文系の教授の仕事ぶりについて、それなりに承知していると自負している(編集部注/筆者はミュンヘン大学への留学を含め、専門であるドイツ史・日独交流史を通してドイツの大学や研究者と頻繁に接触。大阪大学の人文系学部で20年以上教員として在籍し、大学改革支援・学位授与機構では、全国立大学の活動を評価する職務に従事している)。残念ながら、大学教授の質に関する彼我の格差には無視できないものがあると言わざるをえない。

 たとえば研究業績を見ればよい。ドイツでは若いころの留学時代にミュンヘン大学の恩師から聞かされた話だが有力大学の教授に招聘されるには、最低でも3冊の著書が要る。

 まず、研究者としての出発点である博士論文である。次が教授資格論文である。これは、研究者としての幅を広げるため、博士論文とは異なるテーマで書くことになっている。双方ともそれぞれ数百頁程度の専門書である。そして3冊目が、いくぶん巨視的なテーマを扱った著書である。

 一方、わが国の人文系の教授の間では、まとまった著書を全然もたない者もそう珍しくはない。さらに加えて、筆者の在職時には博士学位をもたない教授すら結構見られた。

 ずいぶん以前には、人文系では博士号は教授として功成り名遂げた後にとるものという慣行があったが、筆者世代ではすでに学術研究の入口資格になっている。

 だから、ずいぶん面妖な話である。それに大学としての人事方針も問われよう。博士号のない教授を任用するという人事には、ドイツならまちがいなく参事会なり学長なりから制止が入る。

 もっとも、若干注意しておきたいのは、ドイツでは日本と違って、大学の教員構成がきわめてピラミッド的だという点である。

 先にもふれたが、教授の数は少なく、助教授を合わせても全大学教員の12パーセントにしかならない(Hüther/Krücken2018:loc.1966)(注1)。大多数をなすのは、「学術職員」とよばれる非教授身分の教員(任期付き雇用の、いわゆるプレドクやポスドク)で、その他助手などがいる。

注1 Hüther, Otto/Georg Krücken, 2018, Higher Education in Germany:Recent Developments in an International Perspective, Cham: Springer,Kindle ed.