みんな一斉に下を向いた。師長が続ける。
「そうだよね、誰も行きたくないよね。1週間考えてきて。またみんなで話し合おう」
看護師たちはロッカールームに戻ると、みんなが「行きたくない」と口にした。
「やだー、行きたくない!」
「絶対、ムリ」
「だって、梅安(ばいあん)先生、怖いんだもん」
梅安とは『必殺仕掛人』の藤枝梅安のことである。針で一気に仕留める仕掛人にならって、部長はそう呼ばれていた。
翌週の夕方、また全員会議になった。
「どう、誰か行ってくれる人、いる?」
「はい!行きます」
千里は手を挙げた。
「交代じゃなくていいです。1人で新病院(編集部注/千里が勤務する病院の老朽化により、新しい病院が建設中。完成したら現在の病院から移動する予定である)が完成するまでやりまーす」
「ほんと!千里さん、行ってくれるの?」
千里は、この狭いオペ室に対する期待が薄れていた。それに師長をはじめ、みんなが部長と合う看護師はいないと言うことに少しカチンときていた。じゃあ、自分がやってみようじゃないの。
それに千里は、未知の分野にはいつも興味があり、パッと思いつくとすぐに実行したくなるのであった。
「え、大丈夫なの?」
「梅安先生とうまく行くの?」
「無理しなくていいのよ」
みんなに引き止められたけど、千里はもう行くと決めていた。
“必殺仕掛人”の見事な腕前
ありがとう梅安先生
翌週から千里の勤務は麻酔科外来になった。外来にはけっこうな数の患者がいた。その半数以上が星状神経節ブロックのために来ている人たちだった。
星状神経節ブロックとは、患者の首を真正面から見て、やや横に注射針を刺し、局所麻酔薬で神経をブロックすることをいう。肩の痛み・首の痛み・手の痛みなどを取り除くことができる。肩こりとかむちうちとか、頸椎ヘルニアとかに効果がある。顔面の帯状疱疹にも効く。誰にでもできる技術ではない。
診察室には4台の処置ベッドがあり、患者はそこに寝る。千里はトレイにアルコール綿球と、局所麻酔薬を吸った注射針を用意して、梅安先生に渡していく。
先生が首にビシッと注射を入れると、千里は部屋の隅に6台並んだボンボンベッドに患者を誘導して寝かせる。患者たちはみんな梅安先生のファンで、毎回、感謝の言葉を先生に伝えていた。