いまシリコンバレーをはじめ、世界で「ストイシズム」の教えが爆発的に広がっている。日本でも、ストイックな生き方が身につく『STOIC 人生の教科書ストイシズム』(ブリタニー・ポラット著、花塚恵訳)がついに刊行。佐藤優氏が「大きな理想を獲得するには禁欲が必要だ。この逆説の神髄をつかんだ者が勝利する」と評する一冊だ。同書の刊行に寄せて、ライターの小川晶子さんに寄稿いただいた。(ダイヤモンド社書籍編集局)
![【一瞬で変わる】メンタルが一発で「鉄壁」になるコツ・ナンバー1](https://dol.ismcdn.jp/mwimgs/b/0/750/img_b0fcf9f8542ee1cc03fdd0b634c5becc475680.jpg)
判断を見直す
意見は、あなたの力が及ぶものだ。
したがって望むままに意見を取り去ればよい。
すると、岬をまわりこんだ船乗りのように、静かで何ひとつ変わらない、波ひとつない入江が現れる。(マルクス・アウレリウス『自省録』)
――『STOIC 人生の教科書ストイシズム』より
事実か意見か
「私は片付けができない人間だ」。
これは事実だろうか、意見だろうか。
意見である。
確かに目の前に乱雑に本が積み重なって、ぶつかれば雪崩が起こる状態はある。どの本がどこにあるのかわからず、見つからないから買っちゃえということで同じ本が増えて行く様子はある。
これは事実と言って差し支えない。
だが、「私は片付けができない人間だ」というのは事実ではない。
やろうと思えばやれるのだし、過去には片付けをしたこともある。ある時期の一部を切り取った表現でしかないのだ。
「謝れない人間」「チャレンジできない人間」「何をやっても続かない人間」など類似の表現も「意見」である。
「すべての悩みは解釈次第」と考える
意見は自分の力の及ぶものだから、望むままに取り去れば良いとマルクス・アウレリウスは言う。
ストイシズムでは、すべての悩みは意見から生じると考える。
つまり、物事の捉え方だ。捉え方によって悩みが生じたり消えたりするのだ。
ストイシズムの重要な考え方は、「自分のコントロールできる範囲のものに注力し、コントロールできないものには執着するな」というものである。
それでいくと、意見は自分のコントロール内にあるもの。
もしかすると事実のほうはコントロールできないかもしれない。
でもそれをどう思うかは自分で変えられるというわけだ。
すでに起きたことを変えることはできない。
気に病んでいても仕方がない。
変えられることに注力しよう。
私は目の前の本の山に着手しようと思う。
これは自分でコントロールできることだからだ。
(本原稿は、ブリタニー・ポラット著『STOIC 人生の教科書ストイシズム』〈花塚恵訳〉に関連した書き下ろし記事です)