「イギリスとフランスは100年戦い続けた」誰も得しない戦争ワースト1とは?
「地図を読み解き、歴史を深読みしよう」
人類の歴史は、交易、外交、戦争などの交流を重ねるうちに紡がれてきました。しかし、その移動や交流を、文字だけでイメージするのは困難です。地図を活用すれば、文字や年表だけでは捉えにくい歴史の背景や構造が鮮明に浮かび上がります。
本連載は、政治、経済、貿易、宗教、戦争など、多岐にわたる人類の営みを、地図や図解を用いて解説するものです。地図で世界史を学び直すことで、経済ニュースや国際情勢の理解が深まり、現代社会を読み解く基礎教養も身につきます。著者は代々木ゼミナールの世界史講師の伊藤敏氏。黒板にフリーハンドで描かれる正確無比な地図に魅了される受験生も多い。近刊『地図で学ぶ 世界史「再入門」』の著者でもある。
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100年間戦い続けて、何が起こったのか?
イギリスとフランスは、17世紀より海外市場をめぐって激しく争いました。イギリスとフランスの両国は、北アメリカとインドにそれぞれ拠点を設置して進出しており、双方の市場独占をめぐる対立が深刻になったのです。
この両国の植民地抗争は、ヨーロッパでの大戦争とも連動しており、イギリスとフランスは百年戦争を戦います。「百年戦争」といえば、中世に英仏両国が争ったものが有名ですが(1337~1453)、今回はそれに続く二度目の戦争ということで、「第2次英仏百年戦争」とも呼ばれます。
第2次英仏百年戦争の契機となったのが、大同盟戦争(ファルツ継承戦争/1688~1697)でした。この時期はフランスがルイ14世の治世(在位1643~1715)のもとで常備軍を増強し、ヨーロッパ最強水準の圧倒的な軍事大国と化していました。
その軍事力を背景に、ルイ14世は活発な侵略戦争を繰り返し、これを阻止しようと他の列強諸国が同盟する、という構図が形成されます。この大同盟戦争では、北米でも英仏両国が衝突しており、こちらはウィリアム王戦争と呼ばれます。大同盟戦争・ウィリアム王戦争ともに決着はつきませんでしたが、この戦争を機に、英仏両国の長い因縁が始まるのです。
大同盟戦争―ウィリアム王戦争を皮切りに、その後も英仏両国はヨーロッパや北米、さらにはインドなどの各地で、激しく干戈(かんか)を交えることになります。第2次英仏百年戦争で明確な決着がついた戦闘は二度あり、一つはスペイン継承戦争(アン女王戦争)で、イギリスは講和条約であるユトレヒト条約により、ハドソン湾地方、ニューファンドランド島、アカディアといった北米植民地をフランスより奪います。下図(図70)を見てください。
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アカディアのフランス系住民は、後にイギリス政府により移住を強制され、その果てにたどり着いたのがミシシッピ川流域のルイジアナでした。この地に移住したフランス系住民は、故地アカディアの名から「ケイジャン」と呼ばれ、今日もジャンバラヤに代表されるケイジャン料理や、ケイジャン音楽のように、アメリカ合衆国文化を支える因子として息づいています。
そうした戦争のなかでも、戦況を決定づけたのが七年戦争でした(1756~1763)。この七年戦争は、ヨーロッパではプロイセンがイギリスの財政援助を受けながら孤軍奮闘し、フランス・オーストリア・ロシアと渡り合いましたが、一方のイギリスとフランスは北米とインドでも激戦を繰り広げました。結果は北米もインドもイギリスの圧勝に終わり、フランスは双方の海外植民地から撤退することになります。下図(図71)を見てください。
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100年間戦い続け、勝者と敗者はどうなったのか?
七年戦争は世界規模で繰り広げられた大戦争であり、さながら世界大戦の様相を呈した最初の戦争と言えるでしょう。それだけの規模の大戦争であったため、その影響は甚大でした。何といっても、勝者・敗者の双方に深刻な財政難をきたしたのです。
勝者であるイギリスは、財政難の打開のため北米13植民地に様々な課税や財政政策を強行します。これに反発した入植者らは、ついに本国に対し革命・戦争を起こします。これが、アメリカ独立革命です(1775~1783)。
一方、敗者のフランスでは、ルイ14世以来の財政難がより一層深刻となり、もはや財政破綻が目前となります。さらに、アメリカ独立革命で植民地(合衆国)と同盟して参戦したことで、ついにその限界を超えるのです。当時の国王ルイ16世は財政改革に臨もうとするものの成果は得られず、ついにフランス革命が勃発するのです(1789~1799)。
(本原稿は『地図で学ぶ 世界史「再入門」』の一部抜粋・編集したものです)