なぜ「1873年恐慌」が起こったのか?
様々に考えられる原因のなかでも、とりわけ注目すべきものが「ある技術」の実用化です。それが、「電解精錬」です。電解精錬とは、電気分解(化合物に電位や電圧を加えることで化学分解する、化学実験でお馴染みのもの)を利用して金属を分離する技術です。この電解精錬で飛躍的に生産量が増したのが銀で、この時期に新鉱脈の発見などもあり、1870年から40年間で銀の生産量は5倍に膨れ上がったのです。
ここで問題なのが、当時の世界では銀が国際通貨として使用されていたということです。国際通貨としての銀は、16世紀に大航海時代を経て、中南米での銀山(ポトシ銀山やサカテカス銀山)の採掘や、日本銀の流出などもあり、その地位を確立しました。また、銀の増産は各国通貨を銀と紐づける銀本位制の普及にもつながります。その銀が、1870年代に増産したことで、銀貨の国際的な急落が生じたのです。これが、1873年恐慌の引き金となったわけです。
恐慌によって、何が起こったのか?
恐慌により低成長を余儀なくされた欧米諸国は、次第にこれを脱却しようと変革を試みます。例えば、中規模以上の企業は不況を乗り切るために、カルテルやトラストといった独占資本の形成を進めます。さらに独占資本となった巨大企業は、自分たちで生産した工業製品の消費のため、海外市場の拡大の圧力を政府にかけ、これが「帝国主義」と呼ばれる列強の対外進出の一因となります。
より重要なのが、各国では銀本位制に代わり金本位制が定着したことです。銀の国際価格が暴落したことで、代わって金が各国の貨幣の価値を担保するという役割を担うのです(この時期の日本は例外的に事実上の銀本位制を確立します)。
しかし、金本位制もまた、万全ではありませんでした。金本位制の最初の危機は1929年の世界恐慌で訪れ、また第二次世界大戦後の世界経済は、金・ドル本位制を軸とするブレトン・ウッズ体制が敷かれますが、ベトナム戦争(1965~75)によるアメリカの財政赤字から金のアメリカ国外への流出が止まらず、最終的にニクソン大統領が金とドルの交換停止を宣言するのです(ドル・ショック、1971)。
今日の世界経済は、米ドルを基軸通貨とする変動相場制ですが、他方ではビットコインに見られる仮想通貨取引も活発となっています。こうした取引は、新たな「恐慌」の原因となるのか、そしてまた新しい変革を世界にもたらすのでしょうか。そのヒントは、過去に隠されているのかもしれません。
(本原稿は『地図で学ぶ 世界史「再入門」』著者の書き下ろし原稿です)