アップル、マイクロソフトと世界の時価総額ランキング1位を争い、誰もが知る企業となったエヌビディア。「半導体」と「AI」という2つの重要産業を制し、誇張ではなく、米国の株式市場、そして世界経済の命運を握る存在となった。
しかし、その製品とビジネスの複雑さから、エヌビディアが「なぜ、これほどまでに強いのか?」については、日本でも世界でも真に理解されているとは言えない状況だ。『The Nvidia way エヌビディアの流儀』は、その疑問に正面から答える、エヌビディアについての初の本格ノンフィクションである。
今回は、ジェンスン・フアンがエヌビディア全社を把握し、コントロールするための具体的な方法を紹介する。

ウィスキーを片手にメール返信Photo: Adobe Stock

「トップ5メール」とは?

 何もかも会議で伝えることはできない。これほど巨大で分散した組織にあって、ジェンスンは全員が適切な優先事項に取り組めるよう、社内の状況を常に把握しておく必要があった。ほかの企業の幹部なら、部下からの正式な状況報告に頼るところだろう。しかし、エヌビディアの経営陣は、正式な状況報告は情報があまりにも美化されすぎていて使い物にならない、と考えていた。最新の問題、予想される障害、人事問題など、物議を醸しそうな内容は削られ、調和の取れた明るい状況ばかりが報告される傾向にあるのだ。

 そこでジェンスンは、組織のあらゆるレベルの社員に対し、自分の取り組んでいることや最近市場で気づいたことのトップ5をまとめたメールを、自分の所属チームや幹部たちに送るよう求めた。たとえば、顧客の抱えている悩みや、競合他社の動向、技術の進展、プロジェクトの遅れの可能性などだ。「理想的なトップ5メールは、5つの箇条書き形式で、それぞれの項目が、完成させる、構築する、確保する、といった能動的な動詞で書かれたものなんだ」と初期の社員のロバート・チョンゴルは言う。

 こうしたメールを仕分けやすくするため、ジェンスンは件名に話題を入れてメールをタグづけするよう各部署に指示した。たとえば、クラウド・サービス・プロバイダ、OEM、ヘルスケア、小売、といった具合だ。そうすれば、たとえばハイパースケーラ〔超巨大なクラウド・サービスやデータセンターの事業者〕企業に関する最近のメールをすべて探したくなった場合、キーワード検索で即座に見つけられる。

 この「トップ5」メールは、ジェンスンにとって欠かせないフィードバック手段になった。これにより、若手社員の目には明らかでも、彼自身や幹部社員たちにはまだ見えていない市場の変化を先取りすることができる。トップ5プロセスを気に入っている理由をたずねられると、ジェンスンは社員たちにこう答えた。「弱いシグナルをとらえたいんだ。強いシグナルをとらえるのは簡単だが、私はそれをまだ弱いうちにとらえたい」。部下の幹部社員たちに対しては、彼はもう少し端的にこう伝えた。

「誤解しないでほしいが、君たちには私が最重要だと思う情報をとらえるだけの頭脳や手立てがないかもしれないだろう?」

日曜日にも、スコッチを片手に即レス

 彼は毎日100通ほどのトップ5メールに目を通し、社内で起きていることの全体像を把握していた。日曜日にはさらに長い時間をトップ5メールに費やし、たいていはお気に入りのシングルモルト・スコッチ・ウイスキー「ハイランドパーク」のグラスを片手にメールを読みあさった。彼にとってはそれが何よりの楽しみだったのだ。「ウイスキーはメールの最高のお供さ」

 こうして、トップ5メールは市場に関する新たな洞察の源になった。新しい市場に興味を持ったジェンスンは、メールを頼りにほぼリアルタイムで戦略的な思考を練っていった。たとえば、社員から送られてきた機械学習のトレンドに関するトップ5メールを何通か読んだあと、ジェンスンはエヌビディアが機械学習市場を活用できるほどすばやく動けていないと判断した。元幹部のマイケル・ダグラスは、ジェンスンが「この話題をしょっちゅう目にする。このRAPIDASとかいう技術への投資が足りない気がするな」と言っていたのを覚えている。すぐさま、ジェンスンはRAPIDAS CUDAライブラリの開発に携わるソフトウェア・エンジニアを増員するよう部下に指示した。結局このライブラリは、GPU上でのデータ・サイエンスや機械学習の処理を高速化するための重要なリソースとなった。

 ジェンスンが推進するエヌビディアのメール文化は、当時も今も容赦というものがない。「すぐに学んだのは、彼からメールを受け取ったら即行動に移さなければならない、ということだ」とダグラスは語る。「放置は許されない。ほったらかしは許されない。メールに返信して、すぐに行動するのみだ」と元人事部長のジョン・マクソーリーは言う。ジェンスンはメールを受信してから数分以内に返信することも多く、社員にも最長24時間以内の返信を求めていた。それも、厳密なデータに裏づけられた入念な返信を、だ。この高い基準を満たさない返信に対しては、たいてい皮肉っぽい返答が返ってきた。「ほう、それでいいのかね?」

 ジェンスンのあまりにもすばやい返信に、社員たちはやがてトップ5メールを送るタイミングを慎重に見計らうようになった。「金曜の夜なんかにメールを送ろうものなら、いっときも心が安まらない。ジェンスンが金曜の夜遅くに返信してくることがあるからね」と元社員は語る。「そうなったらせっかくの週末が台無しだ」。そのため、ほとんどの社員は日曜の夜遅くにトップ5メールを送るようになった。ちょうど、ジェンスンが自宅の書斎でスコッチ片手にくつろいでいる時間帯だ。そうすれば、週の頭から彼の指示に対応できる。

 ライフサイエンス部門の元アライアンス・マネジャーであるマーク・バーガーは、初期に送ったトップ5メールで、うっかりジェンスンの逆鱗にことごとく触れてしまったことがある。そのメールで、バーガーはライフサイエンス市場におけるGPUの売上を予測しようとした。ジェンスンは、ライフサイエンス分野でのエヌビディアの進展がいまひとつだと感じており、今やバーガーの分析の厳密さに疑問を抱いていた。そこでジェンスンは、カリフォルニア大学サンディエゴ校のサンディエゴ・スーパーコンピュータ・センターに科学研究所を築いた研究教授のロス・ウォーカーとはもう話をしたのかと問いただした。

 バーガーは、その学者が研究所におけるGPUの利用方法について具体的なことを知っているはずがないと思い、まだウォーカーには相談していないことを正直に認めた。すると、ジェンスンは手厳しい叱責を始め、すぐにもっと情報を集めてこい、とバーガーに言った。

 この経験にバーガーは肝を冷やしたが、おかげでより優秀な社員へと成長した。「ジェンスンに対しては、絶対にごまかしは通用しない」と彼は何年もあとに振り返った。「答えをはぐらかそうとすれば、信頼はガタ落ちになる。“わかりません。すぐに調べます”が正しい答えなんだ」

 十分に懲りたバーガーは、すぐさまウォーカーに連絡を取った。ふたりはGPUを利用した研究を行なっているライフサイエンス分野の学者向けのアンケートをつくった。回答に30分くらいかかる長大なアンケートだったが、バーガーはゲーム用GPUが当たる抽選券をエサに回答を促した。その結果、合計350人の科学者から、インストールずみのソフトウェア、実施中のモデリング・プロジェクトの規模、エヌビディアに求める機能、彼らの経歴などについての詳細な回答が集まった。それはまさしくデータの宝庫だった。バーガーが次の会議でそのデータを発表すると、ジェンスンはようやく満足し、バーガーがライフサイエンス市場の調査を十分に尽くしたことを認めたのだった。